日々是総合政策No.74

日本的論理を疑う(3)

 1990年代の米国でインターネットを利活用した経済活動や国民生活が普及拡大し、2000年代には韓国、日本や中国でも急速に普及拡大した。当初は固定電話網を利用した有線インターネットが中心であったが、無線技術の発展に伴って3G、4Gが急拡大し、今年からは5G(第5世代移動通信網)の時代にはいった。今では、道を歩く人や電車・バスに乗る人の多くが四六時中スマホをいじっている。
 中国では、都市でも農村でも、大企業でも道端の個人店舗でも、スマホを使ってのQRコード決済が普及し、現金を持ち歩かない人も多い。市内を移動する際にも、スマホを使って近くにいる車を呼び出し、スマホを使って決済する。それを見ていると、まるで魔法のお金のやりとりに見え、ほんとうにお金が支払われ、受け取られているのだろうかと疑ってしまう。それに対して、日本では今でも現金で支払うのが普通である。
ところで、私のように、スマホを使っての決済(支払いや送金)ができない人と、スマートなスマホ操作でそれを実現する人の間での格差を「デジタル・デバイド」という。私が問題にしたいのは、この用語をめぐっても日本の定義が特殊であることだ。日本では、デジタル・デバイドを「情報格差がもたらす貧富の差や所得格差」と定義するものが多い。前回のデフレの定義と似た構図である。
 つまり、情報格差の存在=原因、所得格差=結果、という関係なのに、原因と結果を一緒にしてデジタル・デバイドと定義しているのである。でも、よく考えてみよう。パソコンをうまく使えこなせない人が就職から排除され、失業や低所得に甘んじているのだろうか。例えば、書道の先生は職に就けず、失業か低所得に追いやられているのだろうか。
情報格差が存在しても、必ずしも所得格差にならないし、そもそも所得格差を引き起こすとされる情報格差の「情報」とは一体何なのか。論理的に厳密な定義に基づく分析を十分に行うことなく、相変わらず、雑な論理で今の社会を分かったつもりの人間が多い。それは不勉強な個人だけでなく、言葉や論理を厳密にとらえない政府や研究者にも当てはまる。

(執筆:谷口洋志)

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