日々是総合政策No.240

共感を考える(3)

 共感「empathy」は、渡辺(2011)により表1のように分類されています(注1)。読者の皆さんは、自分が観察者だと思ってください。そして、他者が幸福なときや不幸なとき、自分がどのように感じるかで、共感は4つに分類されています。他者が幸福なとき、自分も幸福ならば「正の共感」、自分が不幸ならば「逆共感」と表現されています。他者が不幸なとき、自分が幸福ならば「シャーデンフロイデ」、自分も不幸ならば「負の共感」という表現されています。

 もし他者が自分の家族(親や子供など)や恋人ならば、その共感は、他者が幸福なとき幸福を感じる「正の共感」や、他者が不幸なとき不幸を感じる「負の共感」になるでしょう。しかし、他者が恋敵や自分をいじめているクラスメートならば、その共感は、他者が幸福なとき不幸を感じる「逆共感」や、他者が不幸なとき幸福を感じる「シャーデンフロイデ」になるでしょう。別の言葉で表現すると、「正の共感」は「利他・友愛」、「負の共感」は「同情・哀れみ」、「逆共感」は「羨望・妬み」、「シャーデンフロイデ」は「他人の不幸は蜜の味」といった感情表現になるでしょう(注2)。
 生活に困っている人や生きづらい環境におかれている人を見ると、自発的に自分のできる範囲で手を差し伸べようとする人がいます。貧しい人々に対してチャリティーや贈与や援助を自発的に行う個人としては、(1)貧しい他者の所得や効用(満足・福祉)が高くなると自分の効用が高くなる個人、(2)貧しい他者の特定の財・サービス(医療・教育・食料など)の消費水準が高くなると自分の効用が高くなる個人、(3)貧しい他者に自分が手を差し伸べ贈与を与えたという慈善行為そのものから効用を得る個人、(4)貧しい他者に手を差し伸べ贈与を与えた慈善家(良い人)という評判を得ることから効用を得る個人、が考えられます(注3)。
 上記の(2)から(4)のような個人は、他者が幸福なとき自分も幸福を感じるといった「正の共感」に基づいてチャリティーや贈与をしているのではありません。上記(1)のような個人こそ、「正の共感」をもった人なのです。
 次回は、外部性や効用の相互依存性といった経済学の概念的枠組みの中で、共感について考えてみましょう。

(注1)渡辺茂(2011)「動物の共感:比較認知科学からのアプローチ」『認知神経科学』13(1):89-95。
(注2)シャーデンフロイデについては、中野信子(2018)『シャーデンフロイデ:他人を引きずり下ろす快感』幻冬舎文庫も一読すると良いでしょう。
(注3)この点は、横山彰「再分配政策(2):政府の再分配政策と個人の私的動機づけ」『日々是総合政策』No.130 、(一社)総合政策フォーラムでも、論じました。言うまでもなく、本文の(1)から(4)は純粋型で、それらが2つ以上混合した型の個人も考えられます。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.239

平成の米騒動

 コメの生産調整に悩まされてきた農水省にとって、1993年の記録的冷夏によるコメの大凶作はパンデミックに等しい経験だった。政府備蓄米を総て放出しても200万トン以上が不足し、店頭から米が消え、アメリカ産米や中国産米は輸入量が揃わなかったので、タイ政府に頼み焼酎や米菓などの原料として輸入しているインディカ種のコメ(外米)を主食用にも緊急輸入した。
 そんな時、岡山市で単身赴任生活をしていた。早朝、国産米を求めて販売店に長蛇の列が見られたが、通勤途中で行列に加わることは出来ない。帰宅時に買おうとしても当然売り切れ、パン売り場に行っても甘い菓子パンしかなく、即席麺を買って帰る。レストランでもパラパラした外米のご飯しかなく、外米に適した炒飯やカレーライスなどを注文する以外にやりようがない。そんな日々が2か月ほど続いた。
 東京では高齢者が早朝から米の販売店に並ぶ姿がテレビに写し出された。終戦直後にタンスの中から着物を持ち出して近郊農村ヘヤミ米を買い出しに行った経験者を真冬の店頭に長時間並ばせた。マスコミではヤミ米で大儲けする一部の農家や流通業者も報道されていた。農業団体関係者の中から他の国民と同様に率先して外米を食する者が出てきても良さそうだがなかった。せめて率先して高齢者のいる施設に優先的に国産米を売ることでもできなかったのか。政府は様々な農業助成策を実施している中で、国民参加型農政という言葉が空々しく感じる状況だった。
 対照的なのは、1995年の阪神・淡路大震災時の株式会社ダイエーの故中内功社長の対応である。店舗も社員も甚大な被害を受けつつ、政府より早くフェリーやヘリを投入して食料品や生活用品を調達し、便乗値上げを防いだ。「流通業はライフライン」との信念の下、被災店舗前で24時間点灯し続けて営業した。商売人の真骨頂を見て感激した。社会の安定維持への貢献は2011年の東日本大震災でも受け継がれた。
 法律で罰則を課しても、補助金・低利融資や税制優遇・課税強化をしても、どんな政策も日常生活を営む人々の社会的文化的特性を無視できない。長期的視点から人々の理解と共感を売る努力が無ければ、政策の実効性は期待できない。さて、コロナ対策はどうだったのだろう。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.238

不思議の夢の国

 娘の小学校入学の前に、と思い立って9月、ディズニーランドへ行ってきた。この時期なので入場者はピーク時の10分の1程度、待ち時間はほぼ無く、アトラクション乗り放題のまさに夢の国であった。こんな国なら、ずっといられる。
 そんなことを思っていても、退場ゲートを出れば、大変な日常が戻って来る。娘が通う有料の認証保育園で同級の児童の暴力が頻発。無償化された認可保育園に他児童が次々に移っていき、問題児と二人残ってしまった娘はもはや逃げ場を失い、私たちも不本意ながら認可園へ転園した。
 転園に際して求められる書類の山にはうんざりした。さらにびっくりしたのは出生時体重、ワクチン歴、月ごとの身長体重、etc…全部手書きだったこと。デジタルトランスなんとかって、確かこの国の話だったような…?
 そして転園して1か月。娘にも友達ができ安心した一方、私は、いわゆるママ友たちの処し方に失敗した。平日の運動会総練習日。親たちは見学に行っているらしい。その夜、娘に「みんなママ達来てたのに、どうしてママは来なかったの」と怒られた。連絡が回ってこず、仲間外れになっていた。この保育園には地域居住歴順で入園している子たちが多い。近所の保育園は保活の激戦区で入れず、ちょっと遠くから来ている私たちが、仕事にかまけて地域に馴染もうとしなかったのが、ママたちの機嫌を損ねたか。苦い謎が残る。
 ならば次の小学校こそはママたちの輪に入るぞと気合十分。そこに教育委員会から就学時健康診断のお知らせ。紙には3桁の番号が2つ、どちらが受付時間の番号かは電話で初めて判明・・・。
 3週間後の平日の真昼間に来校すべし、と書かれている。皆どうやって仕事のやりくりをするのだろう。代替日に行けばいい?…だけどそうやって仕事優先で考えたらまた地域にハブられるかも。きっと子供第一優先で動かないと、ママたちの輪には入れないのだ。この先のPTAも学童も同じだと思うと気が滅入る。いやしかし、女性の仕事環境改善が取りざたされているのは確かこの国で間違いなかったような…?
 というように、ディズニーランドを出た後も、私の日常は不思議の国の中にあるようだ。
 言ってることとやっていることが乖離した不思議な令和日本の、悪い夢の中に。

(執筆:松野由希)

日々是総合政策No.237

共感を考える(2)

 前回(No.231) に触れましたが、共感の英語表現「empathy」は心理学用語で20世紀初頭にドイツ語から英語に翻訳された言葉です。少し詳しく述べますと、心理学でいう「empathy(共感)」は、ドイツの哲学者・心理学者テオドール・リップスの感情移入(Einfühlung)に基づく概念で、ドイツ語「Einfühlung」に相当するギリシャ語「empatheia」から英訳された言葉です。(注1)
 心理学の研究分野では、この「empathy」は次のように説明されています。

 (1)empathy(共感)は自動的、無自覚的に生起する他者との情動的一体感であり、現代的用法でいう情動的共感に近い。他方、一般的用法でのsympathy(同情)は、学術的用法での(負の)認知的共感に相当すると言えよう。(注2)
 (2)共感(empathy)は、一般に情動的(あるいは感情的)共感(emotional empathy)と認知的共感(cognitive empathy)に分けて考えられている。情動的共感とは、情動伝染(emotional contagion)のように、なかば無意図的かつ自動的に他者と同様な情動状態が経験される現象を指す。一方、認知的共感とは他者の視点を取得することにより他者の心情を理解することであるとされている。(注3)

 上記の説明によれば、「empathy」は無意図的・自動的・無自覚的に生じる他者との情動的一体感を意味します。この意味での共感は、人間だけではなく、類人猿や猿や象や犬や猫などの哺乳類も持っている生得的な能力と考えられています。しかし、時空を超えて他者との情動的一体感を持つことができるのは人間だけで、それを可能にするのが人間の持つ「想像力」だそうです。他者の置かれている状況を、目の当たりにしなくとも、目に浮かべ想像することで、人間は他者との情動的一体感を持てると言われています。(注4)
 私たちは、この人間の素晴らしい能力である「想像力」をいま以上に高められるならば、「より良い社会」に向け一歩前進することができるように思います。

(注1)Theodor Lipps については石田三千雄(1999)「テオドール・リップスの感情移入論を巡る問題」『徳島大学総合科学部人間社会文化研究』(6): 1-23を、また「empathy」へと英訳された点は、澤田瑞也(1992)『共感の心理学:そのメカニズムと発達』世界思想社, 11-12頁とフランス・ドゥ・ヴァール(柴田裕介訳/西田利貞解説)(2010)『共感の時代へ:動物行動学が教えてくれること』紀伊國屋書店, 97頁を参照。
(注2)長谷川寿一(2015)「共感性研究の意義と課題」『心理学評論』, 58(3): 411-420, 415頁より引用。
(注3)大平英樹(2015)「共感を創発する原理」『エモーション・スタディーズ』, 1(1): 56-62, 56頁より一部削除のうえ引用。
(注4)ドゥ・ヴァール(2010)を参照。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.236

スウェーデンのSKVの活動(3)

 今回はSKV(課税庁)の徴税業務について、日本と比較しながら解説します。
 まず、SKVは日本の国税庁と異なり、国税だけでなく地方税の徴収も行います。国の勤労所得税・資産所得税・消費税・法人税のみならず、地方勤労所得税も徴収します。2019年の地方勤労所得税の税収は、税額控除前基準で、国の勤労所得税収の約13倍を占めます(注1より算出)。
 次に、SKVは社会保険料も徴収します。たとえば、年金保険料の雇い主拠出分と本人拠出分を集めます。他方、日本では健康保険料や年金保険料は日本年金機構が (注2より)、国民健康保険料は各市町村が徴収します。
 以上をまとめると、SKVは国税・地方税・社会保険料からなる公的負担を一体的に徴収する機関と言えます。
 ここで、スウェーデンが全納税者に申告納税を義務づけている点に注目すべきです。いま、企業に雇われている勤労者を例にとりましょう。スウェーデンも日本も、毎月、企業が各勤労者の給与等に対する税を納付します。いわゆる源泉徴収制度です。ただ、日本の場合は年末調整-源泉課税分の過不足分の調整-によって、大部分の勤労者の勤労所得税の納税は終了します。たとえば、給与収入2000万円以下の勤労者は申告不要です。しかし、スウェーデンの勤労者は全員申告を求められます。
 同国の申告は以下のようになされます(注3より抽出)。SKVが納税申告書を納税者宛てに送付しますが、その申告書にはあらかじめ、各税額-国と地方の勤労所得税、利子・配当などの資産所得税、社会保険料の額-が記されています。SKVは既に、企業・金融機関等から送付された支払調書により税額を算出しているわけです。当然、納税者である勤労者にも支払調書が送られています。勤労者はこれをもとに申告書の記載税額をチェックし、異論がなければサインを記し、申告終了です。異論のある部分については添付資料を添え修正します。
 以上のプロセスで、納税者は自己の公的負担額を幅広く認識できます。筆者は、この点にこそ同国の申告納税の意義があると考えますが、皆さんはどう思いますか?


1.SKV URL
https://www.skatteverket.se/omoss/varverksamhet/statistikochhistorik/skattpaarbete/oversiktomskattpaarbete.4.5c1163881590be297b5dcdd.html
2.日本年金機構 URL
https://www.nenkin.go.jp/service/kounen/hokenryo/nofu/nofu.html
3.馬場義久『スウェーデンの租税政策』早大出版会、252-254頁。

(執筆:馬場義久)

日々是総合政策No.235

コロナ禍のシンガポール的選択

 1980年代後半は、プラザ合意後のグローバル化と大幅な円高の中(注1)、内外価格差が喧伝され農業バッシングが吹き荒れ、農業不要論まで出現した。一方、シンガポールでは狭い国土を農業から商工業利用に移して生産性を高め、政策的にも輸出主導に変え、当時の安価な労働力を活用した電気電子部品などの労働集約的産業を興した。その後は労働力不足と賃金の上昇で輸出競争力がなくなると、外資導入と移民政策とともに高度な工業製品への特化と金融・情報サービスの強化などに移行した。比較優位論(注2)に沿い生産性の低い産業からの撤退による効率的で豊かな社会の実現をシンガポール的選択として、日本の農政を論じてみた。
 2020年の一人当たり名目GDPでは、シンガポールは世界第5位(58,484米ドル)で、22位の日本の1.49倍である(注3)。独立した1965年には日本の0.54倍で、都市国家と言われながらも農地が国土の5%を占め、農産物の国内生産に努め、1970年代には豚肉や鶏卵生産では自給率100%を超えていた。しかし、2017年ではGDPに占める農水産業0.03%、国土に占める農地面積は0.9%(日本:11.8%)で見る影もない(注4)。
 ところが2008年の金融危機による価格高騰、2014年のマレーシアの魚輸出停止、コロナ禍での食料供給国による輸出禁止・封鎖などがあり、政府は食料輸入先の多様化とともに、2030年までに必要な栄養の30%を国内生産にする目標を設定した。狭小な国土を前提とした科学技術の活用により、培養肉などの代替タンパク質生産と室内型農場・養殖場生産を推進する(注5)。
 日本の農政は、農産物貿易自由化の推進後、一転して成長産業・輸出産業化の推進など目まぐるしく変遷した。その間、論敵だったシンガポールの政策も変わってしまった。

(注1)1985年に米日独英仏がプラザホテルで合意したドル高是正策により円高が誘導された。
(注2)自国内で相対的に得意な(比較優位な)分野に専念し、他の分野を相対的に得意な国に任せる国際分業(交易)ができれば、自国の全体の生産性は向上するとする説
(注3)“World Economic Outlook Database, October 2020”,International Monetary Fund (2020年10月)
(注4)農林水産省,シンガポールの農林水産業概況(2019 年度更新)
(注5)「食のシリコンバレー」へ布石,日本経済新聞,2012年7月18日朝刊

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.234

自宅療養を克服する地域医療

 友人のお嬢様一家がコロナに感染とのメールに驚愕しました。「中学2年と3年の男の子と両親の4人家族ですが、最初に中学2年生の男の子が学校で感染、日をおかずに在宅勤務中の父親と3年生の男の子が発症、高い熱と激しい頭痛、強い倦怠感に襲われほとんど動くことが出来ない状態になりました。その後、一人で3人の面倒を見て頑張っていた母親も動けなくなりました。保健所から一日一回、電話があるとのことですが、自宅療養とはこういうことでしょうか。父親は基礎疾患があり入院を頼んでいますが、ベッドに空きがないとのことで待機しているところです。」と書かれていました。              
 肺炎や呼吸不全に苦しむ中等症の患者、集中治療室や人工呼吸器を要する重症患者を治療する医師と看護師、加えて設備・器具の不足が軽症者、無症者の自宅療養を強いています。しかし、自宅療養中に病状が急変、死亡する事例が目立ち始め、自宅療養を減らす対策が急務になっています。しかし、既に2014年に質の高い医療を効率的に提供する連携構想が制度化、2016年には2025年の医療需要と病床の必要量を想定した地域医療構想が策定されています(注1)。今こそ、この構想を実現すべき時ではないでしょうか。
 地域社会において市民を支えているのが保健所(注2)、公立・民間病院、かかりつけ医です。しかし、保健所にしても、帰国者・接触者の受診調整、患者の入院・宿泊療養措置、地方衛生研究所への検体搬送さらに疫学調査などの業務が山積し、地域の住民、医師からの電話も通じないとの苦情が寄せられるほどです。医療機関も急増した患者に思うように応じられない状況に追い込まれています。
 この事態を打開するのが、医療従事者間のコミュニケーションを促進、治療効率を高める広く安全な場所であるように思われます。期間を限り、オリンピック選手村や競技場を活用できないでしょうか。また、地域住民の健康を守る保健所のスタッフの増員を急ぐ必要があるのではないでしょうか。しかし、外食・観光業などが苦境に喘ぐ中、有効な政府支出と民間の協業が不可避と思われます。昨年、民間部門でもコロナ債が発行されました。さらに個人向けコロナ債(注3)が発行され、コロナ克服意識の高揚に期待が掛かりそうです。

(注1)2020年10月時点の新型コロナ患者受入率は、100床あたりの常勤医師数を基準として、医師数10人未満が22%、以下、10人以上20人未満50%、20人以上30人未満79%、30人以上40人未満87%、40人以上50人未満89%、50人以上93%となっています。ただし、受入率は、医療機関等情報支援システム(G-MIS)に報告があった全医療機関のうち急性期病棟を有する医療機関から、100床未満の医療機関を除いた医療機関(2,811医療機関)を対象にしています。厚生労働省「地域医療構想」および「新型コロナウイルス感染症を踏まえた地域医療構想の考え方について
(注2)緒方剛「新型コロナウイルス対応における保健所の役割と課題」
(注3)2020年9月、三菱UFJ銀行が個人向けコロナ債を1,500億円発行することになりましたが、世界初の試みでした。その目的は、新型コロナによって収入が減少した中小企業や感染防止策を要する病院・製薬会社への融資です。日本経済新聞2020年8月22日。
注のURLのアクセスはいずれも2021年8月27日。

(執筆:岸 真清)

日々是総合政策No.233

コロナ禍での「夜の余暇」を開発しよう

 新型コロナウイルス感染症の流行拡大に伴い、初めての緊急事態宣言が発出された2020年4月以来、1年半が経過しようとしています。コロナ禍の前は、「ナイトタイムエコノミー(夜の経済)の活性化」なども地域の経済活性化策として取り上げられ、ハロウィン等の機会には、様々なイベントも開催されたことも記憶に新しいと思います。
 「ナイトタイムエコノミー(夜の経済)」と言えば、なんだかお酒を飲みながら、時間を過ごすことをイメージしやすいかもしれませんが、例えば、スポーツを楽しんだり、芸術文化に触れるために、美術館に足を運んだり、映画を見に行ったり、街中で行われる芸術祭を楽しんだりすること、さらには街中で開催されるイベントに参加することなどが挙げられます。仕事が終わった後、夜に余暇の空間と時間を創り出し、消費機会を増やしていくこと、これがナイトタイムエコノミーの意義であるように思います。
 これは都市部だけではなくて、地方部においても、経済活性化の起爆剤と考えられてきました。ナイトタイムエコノミーと地域資源を組み合わせることで、魅力ある観光資源を生み出していこうという取り組みです。例えば、北海道の阿寒湖のように、デジタルアートによる演出を行い、夜の阿寒湖を散策する体験型アクティビティの提供も、そのひとつです。
 コロナ禍が続く中で、緊急事態宣言が発出されている地域では、お店で酒類の提供することは停止するよう要請がされています。また営業時間の短縮も要請され、夜20時には、街の明かりも消えていき、人通りもまばらになっていきます。一方、長く続く自粛によって、我慢の限界だという声も聞こえてきます。
 いま、考える必要があるのは、コロナ禍の中でのナイトタイムエコノミーの在り方ではないかと思います。もちろん、感染を拡大させてしまうような取り組みや混雑の発生は避けるべきですが、仕事帰りに美術館で静寂な空間の中でじっくりと芸術に触れることができる「ナイトミュージアム」、プロジェクションマッピングなどのデジタルアートと自然を家族で楽しむ夜のお散歩、またはVRなどの技術を活用して、自宅で「ナイトズー」(夜の動物園)を体験したりするなど、地域の資源や技術を活用することで、夜の新たな余暇を開発しすることで、地域の経済活性化を促していくことができると思います。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.232

公に議論する文化の醸成

 日本人は意見の違いを公に議論したがらない習慣があり、匿名でないと真実を話さない。
 こう語ったのは、第一次世界大戦中から日米開戦まで、東京から日本社会の姿を世界に伝えたイギリス人特派員ヒュー・バイアス(Hugh Byas)です。バイアスは、日本の情報発信の問題点を、「原則のない検閲」(Blind Censorship)、つまり恣意的で原則のない秘密主義であると指摘しました。彼によれば、情報は原則として開示されるべきであり、国民には何が起こっているかを知る権利がある。報道規制を行うときは、明白な必要が認められる場合に限り、しかもはっきりしたルールに基づいて実施しなければならない。日本政府の各省庁は、信頼できる報道関係者からの問い合わせに対しては、適切な情報を提供しているので、合理性を欠く秘密主義は、日本の立場を必要以上に悪くしている、と述べました。
 さらにバイアスは、日本には「言論の自由」がない。「言論の自由」とは、正確な報道をする以上のことを示すものであり、それは自由な討論が行われ、国民の利益に影響を及ぼす様々なアイデアに対して寛容であること、つまり知的活動の自由を保障することだと語りました。
 1930年代、日本が、満州事変、国際連盟脱退、日中戦争、第二次世界大戦へと突き進むなかで、国内では「言論の自由」が無くなり、政府や軍部の批判は取り締まられ、ついに1945年の敗戦を迎えました。戦後日本は、「言論の自由」を重視してきましたが、昨今のコロナ禍や東京五輪などへの政府や大会関係者の情報発信を見ていると、バイアスの時代から、日本社会はどの程度変わったのかという思いを禁じ得ません。
 今後、多文化共生を目指す日本社会の新しいインフラを創るために、様々な観点から熟議を行い、公論を形成していく必要があります。それは簡単なことではありませんが、時間をかけた議論の内容をきちんと記録に残し、公表していくことが、人々に参加意識を持たせることになり、「言論の自由」を保障することになるのです。公に議論する文化を根付かせましょう。

(執筆:木村昌人)

日々是総合政策No.231

共感を考える(1)

 共感を考えるとき、私たちはアダム・スミスの『道徳感情論』における冒頭の一文を思い起こす必要があります。「人間がどんなに利己的なものと想定されようとも、人間の本性には、他者の運命に関心をもち、他者の幸福を眺めることで得られる喜び以外には何もなくても、他者の幸福をかけがえのないものとするような原動力が明らかに存在しています。」(注1)
 他者が感じていることを、その他者と同じ状況にあれば自分が何を感じるかを想像して、自分も同じように感じることが「共感」の一般的な意味内容です。このときの「共感」は英語の「sympathy」の訳語ですが、共感の英語表現には、「sympathy」の他にも「empathy」「compassion」「fellow-feeling」などがあります。「empathy」は、アダム・スミスの時代には存在しない言葉で、20世紀初頭に心理学の領域でドイツ語から英語に翻訳された言葉です(注2)。アダム・スミスは、「compassion」(同情)を含めどのようなパッション(激しい感情)でも、他者の感情を共有すること「fellow-feeling」を表す広い言葉として「sympathy」を用いています(注3)。
 しかし、現在の英語表現でいう「sympathy」「empathy」「compassion」にはニュアンスの違いがあるようです。同じ体験の有無でいえば、自分と同じ体験をした他者の感情を共有することを「empathy」、自分は同じ体験をしていないが想像で他者の感情を理解することを「sympathy」と表現することが一般的です。あるいは、「empathy」は相手の立場で感情を共有する “I feel with you.” なのに対し、「sympathy」は自分の立場から感情を理解する “I feel for you.” であると言われます。同情としての表現として用いるときに同情に関する感覚の強さでいえば、体験の有無からして「sympathy」よりも「empathy」の方が強い同情を表し、「empathy」(同情の共有)よりも「compassion」(献身的行動まで引き起こす同情)の方が強い感覚の同情を表すと理解されています(注4)。

(注1)Smith, A. (1759 [2002]), The Theory of Moral Sentiments, ed. by Knud Haakonssen, Cambridge: Cambridge University Press, eBook Academic Collection (EBSCOhost) –Worldwide の第1部第1編第1章「共感について」(Of Sympathy)の冒頭の英文 “How selfish soever man may be supposed, there are evidently some principles in his nature, which interest him in the fortune of others, and render their happiness necessary to him, though he derives nothing from it except the pleasure of seeing it.”(p.11)を、水田洋訳(1973)『道徳感情論』筑摩書房および高哲男訳(2013)『道徳感情論』講談社(学術文庫)を参考に、私なりに訳出しています。
(注2)詳しくは、次回以降に述べます。
(注3)このときのパッションは、喜怒哀楽に関係する激しい感情のいずれも考えられています。また、アダム・スミスの原文は次の通りですので、皆さんも皆さんなりに翻訳をしてみてください。“Pity and compassion are words appropriated to signify our fellow-feeling with the sorrow of others. Sympathy, though its meaning was, perhaps, originally the same, may now, however, without much impropriety, be made use of to denote our fellow-feeling with any passion whatever.” ( Smith, A. 1759 [2002], p.13)
(注4)次のURL(2021.8.10最終アクセス)を参照ください。
https://www.dictionary.com/e/empathy-vs-sympathy/
https://eednew.com/esl/difference-between-sympathy-empathy-compassion/
https://www.youtube.com/watch?v=uwyu0hx6wFo&t=42s
ただし、Merriam-Webster’s Dictionary of Synonyms(1984, p. 809)では、 “Empathy, of all the terms here discussed, has least emotional content;” とあり、「empathy」は同義語の中で感情的な内容が最も少ないと記述されています。これは、心理学用語としての「empathy」を含意していると理解できるでしょう。

(執筆:横山彰)