日々是総合政策No.244

共感を考える(4)

 共感は、経済学の枠組みでは、外部性や効用の相互依存性から考察することもできます。個人i(自分)の効用(満足)Uiが、自分自身の所得Yiだけではなく、他者jの効用Ujの水準にも左右されるならば、個人i(自分)の効用関数は次のように示されます。

 Ui = Fi (Yi, Uj)  (1)

 このとき、Ujの水準を固定したまま、Yiが増大(減少)すれば、Uiが増大(減少)すると考えるのが自然です。これは、数学的には∂Ui/∂Yi > 0 と表現されます。同じ記号法を用いて∂Ui/∂Uj > 0 ならば、Yi の水準を固定したまま、Ujが増大(減少)すれば、Uiが増大(減少)することを意味します。つまり、∂Ui/∂Uj > 0 は、他者jが幸福なとき(Ujが増大すれば)自分iも幸福を感じる(Uiが増大する)「正の共感」と、他者jが不幸なとき(Ujが減少すれば)自分iも不幸を感じる(Uiが減少する)「負の共感」を、同時に意味することになります(注1)。ここで、∂Ui/∂Uj > 0 は Uj↑⇒ Ui↑かつUj↓⇒ Ui↓と表しても良いでしょう。
 もし、∂Ui/∂Uj < 0 ならば、他者jが幸福なとき(Ujが増大すれば)自分iが不幸を感じる(Uiが減少する)「逆共感」と、他者jが不幸なとき(Ujが減少すれば)自分iが幸福を感じる(Uiが増大する)「シャーデンフロイデ」を、同時に意味することになります(注2)。∂Ui/∂Uj < 0 は 、Uj↑⇒ Ui↓かつUj↓⇒ Ui↑と表現できます。
 (1)式のような効用関数を想定するとき、他者の効用が自分に外部性をもたらしていることを意味します。さらに、(1)式では明示されていませんが、他者jがどのような活動によって効用Ujが増大したり減少したりするかは、他者次第で、自分iがコントロールすることができないとき、その活動は自分に外部性をもたらすことになります(注3)。
 立場を変えると、自分iが幸福(不幸)なとき他者jも幸福(不幸)を感じるかもしれません。これは、(1)式において、i と j を入れ替えた形で示されます。自分だけではなく、他者も共感の感情を持つ場合は、効用の相互依存性として論じられています。

(注1)「正の共感」と「負の共感」は、No. 240 の表1を参照ください。
(注2)「逆共感」と「シャーデンフロイデ」も、No. 240 の表1を参照ください。
(注3)このとき、他者の活動Xjが高くなると他者の効用Ujが高くなり、それで(1)式を通じて自分の効用Uiが高くなったり低くなったりするケースだけではなく、Ui = Fi (Yi, Xj) のようなケースもあります。この後者のケースが、No.1 でも言及したように、Xjが外部性をもたらしているケースになるのです。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.243

情報過多社会

 小学校の図書室で読んだ昔話が忘れられない。文明開化の頃、江戸に一軒の肉料理屋が開店した。店頭には「江戸で一番安くて美味しい」と書かれた幟 (のぼり) が旗めいていた。まもなく隣に「日本で一番安くて美味しい」という幟 を掲げる店が開店し、そのまた隣に「世界で一番安くて美味しい」の幟の店ができた。とすると、そのまた隣に「町内で一番安くて美味しい」との幟の店が開店した。「さて、どの店が一番繁盛したでしょうか」と締め括られていた。
 東京下町に住む私は「最後の店だろう」と直感した。当時、徒歩15~20分圏内で買物も飲食をしていた。何かの祝いに路面電車で日本橋界隈に行くくらいだ。日本一も世界一も意味がなかった。それにラジオやテレビ放送があっても飲食店の情報などない。近所の人との口コミ情報以外では、来訪する人々の情報が貴重だった。若い警察官が半年に1回位の戸別訪問に来る。「何か問題はありませんか。怪しい人はいませんか。」といったことを聞くのが目的なのだろうが、母親と警察官の故郷から近所の娘さんの結婚まで話し込む。この類は簡易保険料を集金する郵便局員、自転車で区外から来る洗濯物の収配達員、玄関から世界が広がる。私は母親の近くで大人の話を聞いていた。
 この物語を現在に置換えて、今の小学生に問うと「世界一が一番繁盛」と答えるかもしれない。行動範囲は東京都内なら外食も買物も地下鉄などで簡単に行ける。テレビでも本でもインターネットでもグルメ情報を収集できる。問題は価格と食味の情報について店と客に格差ある“情報の非対称性”だ。しかし、店が客を騙す意図もなく、客と同じくらいの情報しかないのに、世界一に自信を持つ場合や単に修飾語として安価と美味を強調することもある。客側は店舗情報の信憑性に疑問を感じる。そこで、ミシュランガイドが登場するが、これも信頼性の問題に突き当たる。といって安易に政府介入するわけにゆかない。市場の裁きを待つばかりだ。
 個人の情報収集・判断能力には限界があり、情報過多の海でおぼれ死にそうだ。株の売買を投資顧問会社に委託するように、様々な経済分野で競い合う専門情報会社に頼るようになるのか。政治面では古くから代議制があるように。

(執筆:元杉昭男)