日々是総合政策No.240

共感を考える(3)

 共感「empathy」は、渡辺(2011)により表1のように分類されています(注1)。読者の皆さんは、自分が観察者だと思ってください。そして、他者が幸福なときや不幸なとき、自分がどのように感じるかで、共感は4つに分類されています。他者が幸福なとき、自分も幸福ならば「正の共感」、自分が不幸ならば「逆共感」と表現されています。他者が不幸なとき、自分が幸福ならば「シャーデンフロイデ」、自分も不幸ならば「負の共感」という表現されています。

 もし他者が自分の家族(親や子供など)や恋人ならば、その共感は、他者が幸福なとき幸福を感じる「正の共感」や、他者が不幸なとき不幸を感じる「負の共感」になるでしょう。しかし、他者が恋敵や自分をいじめているクラスメートならば、その共感は、他者が幸福なとき不幸を感じる「逆共感」や、他者が不幸なとき幸福を感じる「シャーデンフロイデ」になるでしょう。別の言葉で表現すると、「正の共感」は「利他・友愛」、「負の共感」は「同情・哀れみ」、「逆共感」は「羨望・妬み」、「シャーデンフロイデ」は「他人の不幸は蜜の味」といった感情表現になるでしょう(注2)。
 生活に困っている人や生きづらい環境におかれている人を見ると、自発的に自分のできる範囲で手を差し伸べようとする人がいます。貧しい人々に対してチャリティーや贈与や援助を自発的に行う個人としては、(1)貧しい他者の所得や効用(満足・福祉)が高くなると自分の効用が高くなる個人、(2)貧しい他者の特定の財・サービス(医療・教育・食料など)の消費水準が高くなると自分の効用が高くなる個人、(3)貧しい他者に自分が手を差し伸べ贈与を与えたという慈善行為そのものから効用を得る個人、(4)貧しい他者に手を差し伸べ贈与を与えた慈善家(良い人)という評判を得ることから効用を得る個人、が考えられます(注3)。
 上記の(2)から(4)のような個人は、他者が幸福なとき自分も幸福を感じるといった「正の共感」に基づいてチャリティーや贈与をしているのではありません。上記(1)のような個人こそ、「正の共感」をもった人なのです。
 次回は、外部性や効用の相互依存性といった経済学の概念的枠組みの中で、共感について考えてみましょう。

(注1)渡辺茂(2011)「動物の共感:比較認知科学からのアプローチ」『認知神経科学』13(1):89-95。
(注2)シャーデンフロイデについては、中野信子(2018)『シャーデンフロイデ:他人を引きずり下ろす快感』幻冬舎文庫も一読すると良いでしょう。
(注3)この点は、横山彰「再分配政策(2):政府の再分配政策と個人の私的動機づけ」『日々是総合政策』No.130 、(一社)総合政策フォーラムでも、論じました。言うまでもなく、本文の(1)から(4)は純粋型で、それらが2つ以上混合した型の個人も考えられます。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策No.239

平成の米騒動

 コメの生産調整に悩まされてきた農水省にとって、1993年の記録的冷夏によるコメの大凶作はパンデミックに等しい経験だった。政府備蓄米を総て放出しても200万トン以上が不足し、店頭から米が消え、アメリカ産米や中国産米は輸入量が揃わなかったので、タイ政府に頼み焼酎や米菓などの原料として輸入しているインディカ種のコメ(外米)を主食用にも緊急輸入した。
 そんな時、岡山市で単身赴任生活をしていた。早朝、国産米を求めて販売店に長蛇の列が見られたが、通勤途中で行列に加わることは出来ない。帰宅時に買おうとしても当然売り切れ、パン売り場に行っても甘い菓子パンしかなく、即席麺を買って帰る。レストランでもパラパラした外米のご飯しかなく、外米に適した炒飯やカレーライスなどを注文する以外にやりようがない。そんな日々が2か月ほど続いた。
 東京では高齢者が早朝から米の販売店に並ぶ姿がテレビに写し出された。終戦直後にタンスの中から着物を持ち出して近郊農村ヘヤミ米を買い出しに行った経験者を真冬の店頭に長時間並ばせた。マスコミではヤミ米で大儲けする一部の農家や流通業者も報道されていた。農業団体関係者の中から他の国民と同様に率先して外米を食する者が出てきても良さそうだがなかった。せめて率先して高齢者のいる施設に優先的に国産米を売ることでもできなかったのか。政府は様々な農業助成策を実施している中で、国民参加型農政という言葉が空々しく感じる状況だった。
 対照的なのは、1995年の阪神・淡路大震災時の株式会社ダイエーの故中内功社長の対応である。店舗も社員も甚大な被害を受けつつ、政府より早くフェリーやヘリを投入して食料品や生活用品を調達し、便乗値上げを防いだ。「流通業はライフライン」との信念の下、被災店舗前で24時間点灯し続けて営業した。商売人の真骨頂を見て感激した。社会の安定維持への貢献は2011年の東日本大震災でも受け継がれた。
 法律で罰則を課しても、補助金・低利融資や税制優遇・課税強化をしても、どんな政策も日常生活を営む人々の社会的文化的特性を無視できない。長期的視点から人々の理解と共感を売る努力が無ければ、政策の実効性は期待できない。さて、コロナ対策はどうだったのだろう。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.238

不思議の夢の国

 娘の小学校入学の前に、と思い立って9月、ディズニーランドへ行ってきた。この時期なので入場者はピーク時の10分の1程度、待ち時間はほぼ無く、アトラクション乗り放題のまさに夢の国であった。こんな国なら、ずっといられる。
 そんなことを思っていても、退場ゲートを出れば、大変な日常が戻って来る。娘が通う有料の認証保育園で同級の児童の暴力が頻発。無償化された認可保育園に他児童が次々に移っていき、問題児と二人残ってしまった娘はもはや逃げ場を失い、私たちも不本意ながら認可園へ転園した。
 転園に際して求められる書類の山にはうんざりした。さらにびっくりしたのは出生時体重、ワクチン歴、月ごとの身長体重、etc…全部手書きだったこと。デジタルトランスなんとかって、確かこの国の話だったような…?
 そして転園して1か月。娘にも友達ができ安心した一方、私は、いわゆるママ友たちの処し方に失敗した。平日の運動会総練習日。親たちは見学に行っているらしい。その夜、娘に「みんなママ達来てたのに、どうしてママは来なかったの」と怒られた。連絡が回ってこず、仲間外れになっていた。この保育園には地域居住歴順で入園している子たちが多い。近所の保育園は保活の激戦区で入れず、ちょっと遠くから来ている私たちが、仕事にかまけて地域に馴染もうとしなかったのが、ママたちの機嫌を損ねたか。苦い謎が残る。
 ならば次の小学校こそはママたちの輪に入るぞと気合十分。そこに教育委員会から就学時健康診断のお知らせ。紙には3桁の番号が2つ、どちらが受付時間の番号かは電話で初めて判明・・・。
 3週間後の平日の真昼間に来校すべし、と書かれている。皆どうやって仕事のやりくりをするのだろう。代替日に行けばいい?…だけどそうやって仕事優先で考えたらまた地域にハブられるかも。きっと子供第一優先で動かないと、ママたちの輪には入れないのだ。この先のPTAも学童も同じだと思うと気が滅入る。いやしかし、女性の仕事環境改善が取りざたされているのは確かこの国で間違いなかったような…?
 というように、ディズニーランドを出た後も、私の日常は不思議の国の中にあるようだ。
 言ってることとやっていることが乖離した不思議な令和日本の、悪い夢の中に。

(執筆:松野由希)