国庫補助事業の話(1):国の理念と市町村の実務
1970年代に入り、農業基本法の目指す農工間格差是正は政策米価引上げ運動に偏り、過剰米も発生した。農水省は農家の目線を米価から農村の生活インフラの改善に向けてもらおうと農村整備事業を立ち上げた。農村の生活環境は劣悪だった。市町村が当時の国土庁の指導・助成で農村総合計画を策定し、それを受けて農水省は50%の国庫補助金で選別したインフラを数年かけて整備する。農村のインフラは農業用の道水路が骨格を為し、農地の区画整理は都市の土地区画整理の役割も果たすので、農業インフラと一体的に生活インフラを整備(結合供給)するのが合理的である。農林水産省は集落毎の意見を反映した農村計画をつくると意気込んでいた。
いつの間にか「欲しいものは何でも50%の補助の対象になる」と言われるようになってしまった。しかし、整備対象は公共性が必要だし農業政策の一環だから農業振興にも寄与する必要がある。もちろん様々な技術基準は守る必要がある。事業制度創設後5年程過ぎて、20歳代の私は毎年100地区程の計画審査を担当した。限られた予算の中で助成対象の事業を決めるのは難しかった。
計画審査のために山間部の村に行った。熱心に事業の必要性を説く村長の話を聞いた後、計画策定の作業場に行った。老朽化した木造の庁舎とは別のプレハブ小屋だった。山間とはいえ真夏で冷房もなく、3人の職員が膨大な資料作りと正に格闘していた。計画に使える十分な図面すらなく、パソコンはまだ普及していない。そんな中で農振法などの土地計画・公共施設・農業施設はもとより、村中の水道・道路・水路・河川・防災施設・公園などの状況を調べ上げる。トラック1台分の資料が必要と言われた。国土庁の抽象的な総合計画を具体的に現状把握して計画を策定するのだが、東京に戻って補助対象にしない事業の詳細な資料を大幅に削減した。
何でも使える交付金にして、使い方は市町村に任せれば良いではないかと言った意見が当時もあった。でも、「誰でも住んでみたい村に」という理念の下で、農地転用規制と農業生産基盤の助成を超えて、美しくて快適な農村のモデルを作り全国に広めたかった。全国の市町村を歩き回り話合ったことは、私にとって行政に携わる上で大きな財産になったが、国レベルの理念に基づく政策実現には、執行する市町村等の実務への配慮が必要なことが身に染みて分かった。
(執筆:元杉昭男)









