日々是総合政策 No.6

民主主義のソーシャルデザイン‐ 公職選挙法の改正

 いよいよ「平成」も残り数日となりました。来週から「令和」の時代が始まります。「令和」の時代とは、どのような時代になるのでしょうか。新たな「令和」の時代に、自分が住んでいる地域の「未来」を誰に託すのか、ということを決める平成最後の統一地方選挙が行われました。読者の皆さんが住んでいる「まち」でも選挙が行われていたかもしれません。
 選挙期間中は、駅前など、人が集まる所では、拡声器を使い、候補者が自身の主張を訴え、街中で選挙カーが走り回り、候補者の名前があちらこちらから聞こえてくる、賑やかな日が続いたと思います。そんな喧噪も、過ぎ去ってしまえば、それまで騒がしかった分、少し寂しさに似た感情も湧くことがあるような無いような。
 さて近年、公職選挙法の改正が続いています。2013年の参議院選挙は、インターネットを活用した選挙運動を解禁した初めての選挙、2016年の参議院選挙は、選挙権年齢が「18歳」に引き下げられた初めての選挙でした。今回の統一地方選挙では、候補者が選挙期間中に、「ビラ」を配布することができるようになりました。(国政選挙や知事選等の首長選挙では、すでに認められていました。)。このような公職選挙法の改正は、「公職選挙法の現代化」と言えるかもしれません。
 法律が作られたのは、昭和25年。今から、約70年前のことです。公職選挙法の基本的な理念は、選挙の公正性と候補者間の平等性の確保にあります。その理念を理解するために、ひとつの喩えをしてみたいと思います。候補者間の平等性の確保とは、同じ選挙に、お金を持っている人とお金を持っていない人が、それぞれ立候補したとき、持っているお金の違いで、有利不利を生じさせないようにしよう、選挙活動で「できること」が異ならないようにしよう、ということです。
 お金を持っている人は、大量のビラや看板を作ることができるかもしれませんが、お金を持っていない人は、ビラや看板を大量に作成することができないかもしれません。選挙活動とは、「自分に一票を入れてください」ということを訴える活動ですから、物量の違いは、当然、選挙結果に大きく影響する可能性があります。
 そのため、公職選挙法の規定では、選挙期間中に「できないこと」が多く、選挙とは、「知恵比べ」の様相を帯びています。そこで活躍するのが「選挙プランナー」であり、「選挙デザイナー」です。(こうした仕事の話は、また後日)
 70年前には「できなかった」ことが、現代では、技術進歩の結果、お金をかけることなく、様々なことが「できる」ようになりました。それならば、法律の基本的な理念を守りながら、「できること」の範囲を広げようという流れにより、近年の公職選挙法の改正につながってきている、すなわち、法律の現代化がなされてきていると言えるのです。今後は、「電子投票」、すなわち、自宅でインターネットを通じて投票する、ということなどもできるようになるかもしれません。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策 No.5

人口減少のインパクト

 人口減少社会という言葉を耳にする機会も多くなりました。人口減少社会とは、「産まれる人数よりも死亡する人数が多くなり、総人口が減少する社会」と捉えることができます。総務省統計局によれば、総人口が継続して減少し始めたのは2008年からとのことです。したがって、日本は2008年から人口減少社会に突入したと言えるでしょう。私たちがこれから生きていく日本社会は、人口が継続的に減少していく社会です。それでは、人口減少は私たちの社会にどのような影響を与えるのでしょうか。本コラムでは「人口減少のインパクト」と題して、数回に分けてこの問題を探っていきます。
 国立社会保障・人口問題研究所という機関が、日本の将来人口について推計を行っています。将来の人口を予測するためには、出生数と死亡数についてある仮定をおいて計算することになります。それぞれ、低位・中位・高位という仮定をおき、合計9パターンの計算を行っていますが、ここでは出生数・死亡数いずれも中位の仮定をおいた推計結果を紹介します。
 人口推計の出発点となる2015年の日本の総人口は1億2,709万人でした。2053年には1億人を割って9,924万人となり、2065年には8,808万人となると推計されています。実に、50年間で3,901万人が減少することになります。この数字の大きさは、2015年時点での東京都・埼玉県・千葉県・神奈川県に茨城県を加えた人口(3,905万人)とほぼ等しくなります。つまり、今後50年(正確には46年)で、1都4県に等しい人口が日本からいなくなるということです。
 あまりに数字が大きいため、やや呆然としてしまいますが、少なくともこのコラムを読んでくださっている若者の多くは、この急激な人口減少の体験者となるのです。2015年に15歳だった皆さんは、2065年には高齢者の入り口となる65歳です。まさに、当事者としてこの人口減少社会を乗り越えていかなければならないのです。

(執筆:中澤克佳)

日々是総合政策 No.4

開発途上国 その1

 はじめまして、法政大学経済学部で開発経済学を教えている池上宗信です。開発経済学とは何でしょうか?経済学は、商品の売買などの『経済』行為や仕組みを『学』んで得られた知識です。開発経済学の『開発』は、開発途上国の開発であり、開発経済学は、開発途上国の経済に関する知識です。
 さて、開発途上国とは何でしょうか?世界の国々を経済の成長の度合いから2つに分けると、先進国と開発途上国に分けられます。先進国は、日本のような経済の成長した、経済が大人な国々です。開発途上国とは、経済がまだあまり成長していない、経済が子供な国々です。そのような国としてまず思い浮かぶ国はどの国ですか?
 経済が大人、子供と言いますが、大人と子供を分ける年齢、大きさは何でしょうか?経済の場合は、国民一人あたりの年間所得が100万円位が、大人と子供を分ける境目です。
 ちなみに日本の国民一人あたりの年間所得は400万円位で、日本経済は若い大人ではなく年配の大人です。これらの金額は、それぞれの国の物の価格の高さ、物価の違いを調整したあとの金額です。開発途上国の物価の安さに驚いたことはありますか?その開発途上国における物価の安さを調整しないと、開発途上国の経済の成長の度合い、大きさが過少に評価されてしまうので、物価の違いを調整した所得、金額を用います。
 開発途上国は、国民一人あたりの年間所得が100万円より小さい国々とひとくくりにしていますが、その中の国々の経済の成長度合いの差は大きいです。例えば、日本のお隣のフィリピンは国民一人あたりの年間所得が70万円位ですが、国民一人あたりの年間所得が最も小さい国は、中央アフリカ共和国で、その大きさは7千円位です。
 ここまで、国民一人あたりの年間所得だけに注目してきましたが、国民の健康、働く時間の長さなども、国民の幸せにとって重要そうです。次回は、それらと国民一人あたりの年間所得との関係をみてみましょう。

(執筆:池上宗信)

日々是総合政策 No.3

問題解決を目指すデータ分析を行うために

 人間行動や社会に関する様々な問題を理解し、それらの解決を目指すためのデータ分析は極めて強力なツールとなり得ます。ここで「なり得る」という限定的な表現をしたのは、残念ながらそうではないデータ分析も世の中に多く存在しているからです。データ分析の真贋を見抜く能力を身につけ、様々な問題の解決を図ることを通じて、より良い社会を実現するためには何が必要でしょうか?
 問題の解決に資するデータ分析には、統計学の概念や方法論だけではなく、目的に応じたデータの取得、分析の組み合わせ、さらには結果の解釈・公表といった一連のデータ分析の戦略とそこでの透明性・再現性の確保が重要となります。このようなデータ分析のための「リテラシー」は、学問というよりもプロフェッショナル・スキルです。企業や政府機関などの多くの組織が、データ分析から得られた科学的証拠に基づいて意思決定を行うようになってきました。EBPM(Evidence-based Policymaking: 証拠に基づく政策立案)が内閣府主導で推進されているのも、その一例です。
 ここで気をつけなくてはいけないのは、スキルである以上、実際の経験を通じてのみ「問題解決に資するデータ分析」を身につけることができるということです。話を聞いたり、本を読んだりするだけでは身につきません。まずオープンソースの統計プログラミング環境(例えばR)を入手し、手頃なデータセットの分析から初めてみるのがスキル獲得への最初の一歩となります。それを繰り返すうちに、データ分析のコツや勘所も身につけられるのです。
 また、問題の解決に資するデータ分析の実践には理系・文系の垣根を超えた学際的アプローチが必要です。統計学の知識や英語でのコミュニケーション能力はいうまでもなく、人間行動や社会を取り巻く様々な背景の理解と、機械学習やスクレイピング手法を状況に応じて有効活用できるプログラミング能力も大切となります。ひょっとすると高校生から大学入試に向けて理系・文系のどちらかに絞って勉強することは、問題解決を志向するデータ分析のためのリテラシー獲得にとっては遠回りかもしれません。

(執筆:後藤大策)

日々是総合政策 No.2

マレーシアの「ワワサン2020」

 2018年5月にマレーシア首相に返り咲いたマハティール氏はすでに90歳を過ぎたというのに今も若々しい。マハティール氏は、かつて1981年から2003年までの約22年間にわたって首相の座にあり、日本の勤労精神を学ぼうという「ルックイースト政策」を1981年に提唱した人物として日本でもよく知られている。
 そのマハティール首相時代の1991年に、重要な長期ビジョン「Wawasan 2020(Vision 2020)」が発表された。ワワサン2020は、2020年までにマレーシアを先進国にするという目標である。そのために年7%の経済成長を通じて10年間に経済規模を倍増させるという数値目標が設定された。それだけをみると、日本政府が1960年代に掲げた「国民所得倍増計画」や、中国政府が1980年代以降掲げてきた10年倍増・20年4倍増計画と変わらない。
 しかし、ワワサン2020は、量的な成長戦略ではない。ワワサン2020は、国民の結束と社会的結合、経済、社会正義、政治的安定、政府のシステム、生活の質、社会的・精神的価値、国民の誇りと自信といった面での「先進国化」を狙ったものだ。
 その2020年が来年やってくる。経済面での「先進国化」目標はどうなったか。世界銀行の経済区分によれば、2017年時点での1人当たり名目国民総所得(GNI)が1万2036米ドル以上であれば、高所得経済、つまり先進国経済に分類される。2019年4月9日にIMF(国際通貨基金)が発表した統計によると、2020年におけるマレーシアの1人当たり名目GDP(国内総生産)は1万2100米ドルと予測されている。GNIとGDPという違いはあるが、2020年にマレーシアは先進国の経済水準に到達することが確実である。
 しかし、所得水準だけをみてマレーシアが先進国化したと判断することは早計だ。日本の国民所得倍増計画は、目標を超過達成したという意味では成功したが、環境を大幅に悪化させたという点では失敗だった。経済だけでなく、政治、社会、精神、心理、文化の面でも先進国化を目指す「ワワサン2020」は、もしかすると、日本を反面教師として見習おうという、もう一つの「ルックイースト政策」だったのか。

(執筆:谷口洋志)

日々是総合政策 No.1

パレート改善と外部性

 総合政策は、現実の社会を「より良い社会」に変えようとする人間の営みを総合的に研究します。これは、既にお伝えしました。人が違えば、「より良い社会」も違います。しかし、次のような考え方に異を唱える人は少ないでしょう。
 ある人が「白」よりも「赤」のシャツを着る方が望ましいと考えて「赤」シャツを着た、と想像してみてください。このとき、その人の着るシャツの色などは他の人々にとってどうでもよければ、その人が「白」シャツを着ている社会よりも「赤」シャツを着ている社会の方が「より良い社会」だ、と考えられます。この考え方は、パレート(1848 – 1923年:イタリアの経済学者)の名を冠した、「パレート改善」を良しとする価値判断に基づいています。パレート改善とは社会の構成員の何人をも悪化させることなしに誰かを良化できることで、こうした改善は社会全体にとって良いことと判断されます。改善前の社会と比べて改善後の社会の方が「より良い社会」と考えるわけです。
 言い換えれば、誰にもご迷惑をかけないならば、誰もが自分の幸福を追求し自分が良いと考える状態を実現することが、社会全体にとっても良いことであるとする考え方です。この考え方は、自由主義にも通じます。
 しかし、ある人がシャツではなく、自分が購入した白壁のビルを白よりも好きな色の赤に塗り替える場合は、どうでしょうか。ビル壁が白ではなく赤になることで不快になり損失を被る人(例えば隣人)がいれば、この変化はパレート改善になりません。このように、ある人の選択行動が第三者である他の人の利害に影響を与えるときは、「外部性」が存在すると言います。その影響がプラスなら正の外部性、マイナスなら負の外部性です。では、白いビルのままの社会と比べ、そのビル壁を赤くした社会は「より良い社会」と言えるのでしょうか。この点、社会全体としてどう評価するかについては、次回に考えましょう。

(執筆:横山彰)

日々是総合政策

日々是総合政策とは

 総合政策の基本的な考え方や日々の暮らしの中で考えたことや各々の研究成果などを、当フォーラムの理事を中心に中高生にも分かるように執筆する短い随筆欄です。
 中高生の皆さんが、いま暮らしている社会の一員として、どのような「より良い社会」をめざそうとするかで、皆さんが大切にしている社会も変わってきます。私たちは、日々、「より良い社会」をめざし、また自分の中にいる多様な自分を制御して自分なりの「より良い自分」をめざし暮らしています。この点で、私たちは日々総合政策を実践しているのです。
 身近の中高生や若者と一緒に、また日々総合政策を長年にわたり実践してこられた高齢の方々と一緒に、自分が大切にしている社会を「より良い社会」にするために、私たち一人ひとりが何ができるかを考える素材として、ここに掲載される小文が役立つよう願っています。
 なお、各小文は記名執筆者の個人的見解であり、その記述内容は各執筆者が責任を負うものです。

(執筆:横山彰)