緑の人と青い人
いまから20年以上前に日本で初めて誕生した「総合政策研究科」という大学院の講義で、「緑の人と青い人」というレポート課題を出したことがあります。その後、学部の講義や関西で設置された学部を持たない総合政策系大学院の講義などでも同じ課題を出して、総合政策の醍醐味を私なりに受講生に伝えてきました。その課題は、次の通りです。
「ある社会で緑の人が右に進もうと言い青い人は左に進もうと言ったところ、その社会は緑の人の言うことに従い右の進路をとった。こうした現象が生起する状況を列挙し、その政策的含意を考察しなさい。」
社会人院生も含む当時の受講生の皆さんのレポート内容は、極めて多彩で色々な考察が加えられ、大変に示唆に富んだものでした。中高生はじめ若い読者の皆さんには、まずもって、ご自身で少し考えてみていただきたいと思います。
こうした現象が起こるのは、(1)その社会の構成員のほとんどが緑の人であったから、(2)緑の人が法的権限を持った代表者であったから、(3)その社会の支配的な宗教の最高責任者が緑の人であったから、(4)その社会の審美眼からして緑の人が美しい人だったから、(5)緑の人が科学的根拠を示したから、(6)過去の言動からして社会的信頼は緑の人の方が高かったから、(7)緑の人が言う右の進路の方が得をする人数が多かった(1人1票の結果)から、(8)緑の人が言う右の進路の方が社会全体の純便益が大きかった(1円1票の結果)から、(9)左より右の進路の方が歩きやすそうだったから、(10)緑の人の演説の方が良かったから、などなど(そうした諸要因の重なりも含め)色々な説明が考えられるでしょう。
一度限りの科学的根拠からすれば青い人の言説の方が正しかったとしても、過去の言動からして青い人が「狼少年」だった場合には、その科学的根拠だけでは社会の進路は決まらないかもしれません。また、青い人の言うことが本当に正しくても、青い人の言うことだけは絶対に受け入れたくない、といった感情が政策決定を左右する場合もありえます。
これらの点から、「政策は人なり」の側面も考える必要があるのです。
(執筆:横山彰)