日々是総合政策No.57

反知性主義VS.大学教育?

 批判的知の軽視、感情による物事の判断、ある現象を理解する際に多様性の一切を捨象し単純化することなどを特徴とする、「知的な生き方」の軽視あるいは敵視は、反知性主義と呼ばれている。そして、このような知識への認識・態度は、批判的に物事を考える力や、論理や根拠に基づいて判断する能力、物事の多様な側面を理解する能力を育もうとする大学教育の側には脅威となっており、大学教育側、特に人文系の学問領域においては批判的に言及されることが多い。
 確かに現代日本社会における外交関係や「ひきこもり」「格差」といった問題をめぐって飛び交う感情的で断定口調の言説を見るならば、大学教育側から反知性主義へと向けられる批判の重要性は否定できない。だが、特に「感情」を巡っては、反知性主義VS.大学教育という枠組みの安易な採用には慎重になる必要があると考える。
 この二項対立的図式の限界は、そもそも境界線が流動的で曖昧なことを把握できないことにある。より正確にいえば、「感情」が時に学問の礎になることを見落としてしまう点にある。たとえば、フェミニズムの黎明期に議論を支えたのは、社会に対する「不満」であった。同様のことがポストコロニアル理論にも言える。20世紀に入り植民地の多くは独立したが、旧植民地に対する旧宗主国の文化的・政治的な影響は残り続けた。旧宗主国と旧植民地の間で揺れる/揺さぶられる人々(たとえば旧植民地出身の「イギリス人」)の「居場所の無さ」や「不満」は、ポストコロニアル理論を生み出す原動力ともなった。これらが意味しているのは、(全てではないにせよ)大学教育には、「感情」を最終審級ではなく問いの起点に昇華し、これまで顧みられることの無かった個々人の「不満」や「不安」を、他の人々に理解されうる概念や論理に翻訳する方法が備わっている、ということである。
 もちろん、反知性主義を消し去ることはできないだろう。だが、「大学教育」には反知性主義を前に、それらをやみくもに拒否・否定したり、逆に諦念に陥ったりすることとは異なる道もある。その道は、反知性主義VS.大学教育という図式に挑戦する道でもある。

(執筆:山内勇人)

日々是総合政策No.56

正規雇用の定着には総合的な政策で

 人は産まれた年を選ぶことはできませんが、いつ誕生したかは、およそ20年後の就職活動の時期に大きな影響を受けます。
 今年の終戦の日、日本経済新聞の一面記事は、「『氷河期』100万人就職支援」というものでした。政府は、就職氷河期と呼ばれる1993年から2004年にかけて就職した人たちを対象にした就職支援を検討するということです。具体的には、支援対象者が正規雇用として半年定着した場合、対象者に職業研修を施した事業者に対して成功報酬型の助成金を支給するというものです。
 就職氷河期と呼ばれたころの日本経済は、バブル経済の崩壊、アジア通貨危機、不良債権処理の失敗による大手金融機関の破綻、アメリカのITバブル崩壊といった事象が続き、景気低迷が続きました。これらの事象は当時の新卒学生の就職活動に多大な影響を与えました。多くの学生は何十社も会社訪問を行わなければ内定を得ることはできませんでした。それでも多くの学生は内定を得ることができず、正規雇用を諦めて非正規雇用者となっていきました。現在、この世代の人たちは30歳代半ばから40歳台半ばにさしかかっています。近年、この世代の引きこもり者による事件が世間を賑わせていますが、事件を起こした者の多くは、就職がうまくいかずに引きこもったということです。
 この世代の人たちが非正規雇用者から正規雇用者になるということは、今後の労働力、社会保障の担い手になるということに加え、社会の安全といった点からも重要になるでしょう。ただ、仕事を続けるということは、個人の性格といった心理的な要因や会社の風土にも影響を受けます。いくら研修を受けて仕事上のスキルを身につけたとしても、本人が仕事を継続できるのか、正規雇用を与えてくれた会社の風土に合うのかが問題になるのです。それらの点を考慮しなければ、いくら金銭的な支援があったとしても正規雇用の定着は進まないでしょう。その意味でも、この政策は金銭的なものだけでなく、心理的な側面も取り込んだ総合的な政策が求められるのです。

(執筆:矢口和宏)

日々是総合政策No.55

『論語』と「論点整理マップ」(1)

 現代における様々な既存の社会の仕組みに無理や限界が感じられる今の時代、私たちは新たな「何か」を中心軸として制度化する必要があるのではないかと感じています。その「何か」とは、地球に住む人たち誰もが皆が納得できる「何か」である必要があります。最近、温故知新の模索の中で論語に出会う事ができたことから、その息吹を紹介しつつ、私の研究テーマについて触れていきたいと思います。

 論語に、このような言葉があります。

 「互郷は与に言い難し。童子、見えんとす。門人惑う。子曰わく、其の進むに与し、其の退くに与せざるなり。唯だ、何ぞ甚だしきや。人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与せん。其の往(むかし)を保せざるなり。」(野中根太郎『全文完全対照版 論語コンプリート』より)

 孔子は進歩向上したいと心から教えを乞いに来た人には身分や出身を問わず受け入れる。なぜ孔子はこのような考えをされたのでしょうか。それは、学びに来た人が教えを社会で実践することで広がり、社会全体が少しでも良くなるかもしれないと考えたからです。
 このような哲学は例えば、私たちからわずか数世代前の西郷隆盛さんにも引き継がれています。

 「第二八条 道を行うには尊卑貴賤(そんぴきせん)の差別なし。」 『南洲翁遺訓』

 その人の地位の高さ、低さ、尊さ卑しさなどといったことは、自分から見ても他人から見ても恥じない道を実践する際には、全く関係ないとする哲学です。
 私はこれらを踏まえた上で、その「何か」とは、「社会を良くしたいと願う純粋な心」にするべきだと考えています。「社会を良くしたいと願う純粋な心」には、何ものにも代えがたい、すべてを凌駕した人類共通の哲学になり得る「原動力」になるのではないかと思うのです。
 私が提案する「論点整理マップ」とは、この「社会を良くしたいと願う心」を社会に具現化する為に必要なプラットホームになるのではないかと考えます。次回に続きます。

(執筆:椎橋一樹)

日々是総合政策No.54

大阪はどう変わるのか(下)

 前回(No.49)述べたような大阪市と大阪府の二重行政を解消するために、大阪市を廃止し、東京23区のような特別区をつくる、というのが大阪都構想です。ご存知のように東京都は23の特別区と市町村からなっています。特別区と市町村は基礎自治体として同じような仕事をしますが、特別区は市町村より予算について都との調整が必要となるなどの制約を受けます。大阪都構想には、政令指定都市として強大になった大阪市を抑え、大阪府(あるいは大阪都)の管理下に置くという側面があります。二重行政の解消の仕方としては、強大な大阪市を大阪府から独立させる特別市構想もありますが、これは本格的な動きになりませんでした。大阪都構想は、北村亘『政令指定都市』(中公新書, 2013年, pp. 213-215)に指摘があるよう、大阪市を解体してつくった特別区を大阪府が垂直統合する府主導の地方自治改革なのです。特別区の区長を選挙で選び住民自治を強化するという側面も大阪都構想は持っていますが、集権体制を強化する、地方分権が通常意味するのとは逆の面を持つ改革であることは、おさえておく必要があると思います。
 大阪都構想の選択については、現在進められている形とは少し違いますが、大阪市民による住民投票が2015年5月に行われています。当時大阪都構想推進の中心であったのは大阪維新の会代表で大阪市長の橋下徹氏でした。橋下氏を含め大阪維新の会所属の政治家は選挙で連戦連勝を重ねていましたので大阪都は実現するかに思われましたが、住民投票の結果は僅差の否決でした。大阪市がなくなることに対する市民の抵抗感が大きかったのかもしれません。この結果を受け、橋下氏は政治家を引退することになりました。しかし、大阪維新の会は勢力を保ち続け、前回述べた松井・吉村両氏の当選によって、再挑戦の下地が整うことになったのです。2019年4月の選挙結果などを受け、公明党も大阪都構想に理解を示すようになり、再び住民投票を2020年に実現させる動きが加速しています。大阪がどう変わるのか、注視したいと思います。

(執筆:奥井克美)

日々是総合政策No.53

民主主義のソーシャルデザイン:政権のレガシーづくり

 令和時代最初の国政選挙となった参議院選挙の投票率は、48.80%でした。これは3年前の前回参議院選挙の投票率から5.90ポイントも下回る結果となりました。また、10代(18歳、19歳)の投票率は31.33%でした。(いずれの投票率も総務省「第25回参議院議員通常選挙発表資料」に基づき、記載)。
 48.80%という投票率は、1995年に行われた参議院選挙の投票率(44.52%)に次ぐ、戦後2番目に低い投票率となりました。戦後、参議院選挙の投票率が50%を下回ったのも、1995年の選挙と今回の選挙の2回です。同じ国政選挙である衆議院選挙では、戦後、50%を下回る投票率はなく、最も低い投票率は、2014年12月の衆議院選挙で52.66%です。(いずれの投票率も公益財団法人明るい選挙推進協会の公表データに基づき、記載)。
 今回の参議院選挙で印象的だったのは、「諸派」と位置付けられる「政党要件」を有していない政治団体の躍進です。総務省の資料によると、比例代表選挙区で、れいわ新選組は1,226,413.562票を獲得し、NHKから国民を守る党は841,224票を獲得し、いずれも政党要件を満たしました。
 さて、安倍晋三首相にとっては、国政選挙6連勝となりました。本年11月には、首相の通算在職日数の歴代1位である桂太郎氏を超え、わが国の憲政史上歴代1位の在職日数も確実に視野に入りました。首相には任期はありませんが、自由民主党総裁としては2021年9月に3期9年の任期が満了する予定です。これからの政権運営の課題は、「政権のレガシーづくり」と「レームダック化の回避」であると言えます。「終わり」が見えた政権の求心力は弱まり、政策実行力が落ちていく可能性があります。これが「レームダック化」です。「憲法改正」なのか、日朝問題や日露問題などの「外交成果」なのかはわかりませんが、政権のレガシーを築き上げるためには、レームダック化を避けるばかりか、安倍首相の求心力を高める必要があります。そこで「鍵」となるのは、やはり「選挙」かもしれません。
 亥年の選挙イヤーが、夏の参議院選挙で終わらない可能性は「ゼロ」ではありません。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.52

変わり行く日本の雇用システム

 あらゆるものが、時代とともに変化する。現在のわれわれを取り巻く環境をみると、不安定な国際政治、異常気象、人口減少(少子高齢化)、第4次産業革命(AI、ビッグデータ、ICT、IoT、空飛ぶ自動車、自動車の自動運転等)、挙げれば切りがないほど多くものが変化し、新しいものが生み出されている。
 戦後長く日本企業の組織文化とされて来た日本的雇用慣行も変化の兆しが出始めている。日本的雇用慣行とは、わが国の大企業を中心とした雇用慣行の特徴である。終身雇用(長期雇用)、年功賃金、企業別組合は、その特徴であり三種の神器と呼ばれている。この特徴に加えて、大卒の一括採用を含めて日本的雇用慣行と呼ぶこともある。
 大学の3年生は年明けの3月から一斉に就職活動を開始し、その年の10月までに内々定を獲得する。早い学生であれば、4月、5月までに内々定を獲得する。なかには3社ないし4社から内々定を獲得する者もいる。そうした学生も10月1日の内定式までには1社に絞って内定式を迎えることになる。
 経団連が大卒の一括採用を2021年春入社から廃止し(政府の要請により22年春入社する大卒まで継続の模様)、さらに、経団連会長の中西宏明氏(日立製作所会長)やトヨタの社長である豊田章男氏も終身雇用制は維持できないと言及している。
 日本経済は、もはや高い成長が望めず、日本的雇用慣行である終身雇用制が維持できなくなっている。企業はこうした状況を打破しようと、AI,ビッグデータ等に精通している新卒を獲得するために、通常年収300万程度の新卒に対して年収1000万~3000万の報酬を提示することで、技術革新により対応できる人材獲得をねらっている。その結果もたらされるのは、年功賃金制の崩壊と正社員間の賃金格差である。2020年4月からは、非正規と正規労働者の賃金格差の縮小を目的として、同じ仕事をしている人には、同じ賃金を支払う(同一労働同一賃金)制度がスタートする。さらに、雇用流動化対策として金銭的解雇権も議論され始めている。

(執筆:小﨑敏男)

日々是総合政策No.51

水戸黄門民主主義

 数年前に団体旅行で中国に行ったことがある。通訳兼添乗員は大学の日本語学科を卒業した26歳の中国人男性だったが、話す日本語がよく分からない。観光の説明なら良いが、「何時どこで集合」と伝える時は困る。でも私には彼の日本語が何となく理解でき、私が若者の通訳になってしまった。「この人の言いたいことは・・・です。」と言うと、若者が頷き自由行動が始まる。そのうち若者と話し込む機会が増えた。一人っ子で親元を離れ上海で単身アパートを借りている。家賃が高くて困っている。マンションを買わないと結婚して貰えない・・・。
 ある時、中国は自由が無くて不満ではないかと聞いてみたら、政治的な自由とか表現の自由とかなくてもビジネスができて豊かになれば良いのだと言う。チベットでもウイグルでも混乱を抑えて秩序を守り、一方で汚職や詐欺などをする悪い奴を捕まえてくれればよい。ふと元米国国務長官のキッシンジャーの「『秩序を取るか、正義を取るか』と問われれば、自分は間違いなく秩序をとる。」という言葉(A Biography、別宮貞徳監訳)を思い出した。でも、いつか自由などの基本的人権がないことに不満を覚えないか。
 欧米諸国は中国も経済発展すれば共産党独裁の政治体制は維持できなくなり、民主主義の価値観を共有出来るようになる。だから経済発展を支援するべきだという今までの信念が誤りだと気づいた。どんなに経済が発展してもどんな政治体制を取りうるし、経済発展による経済力や軍事力や高度な情報技術などを国内外の圧政に使うこともあり得る。
 19世紀初頭のドイツの哲学者ヘーゲルは、「東洋人は、(中略)自由であることを知らないから自由はないのです。かれらは、ひとりが自由であることを知るだけです。(中略)このひとりは専制君主であるほかなく」(歴史哲学講義、長谷川宏訳)と言った。中国は歴史上未だに真の民主主義を経験していない。若者は水戸黄門のように悪人を懲しめながら上手に統治し秩序を守り豊かになれば良いとする。この国はどうなるのだろうか。
 別れ際に「2~3年後にまた中国に来たら通訳に指名してあげるよ。」と言ったら、若者は「馬鹿にするな!その時は社長になっている。」と言い放った。そして雑踏の中に消えた。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.50

経済成長(続き)

 こんにちは、ふたたび池上です。前回は、生産関数の収穫低減、経済成長における人口と一人あたり消費のトレード・オフのお話でした。前回予告した、技術革新が起きる場合の経済成長の話は次回に延期し、今回は絶対収束、条件付き収束のお話です。
 生産関数が収穫低減の場合、資本蓄積、人口増加が進むにつれて、追加的な資本の増加、人口の増加がもたらす生産へのリターンは低減し、経済成長のスピードは遅くなります。話を簡単にするために、資本、人口の2つの変数を、資本を人口で割った一人あたり資本という1つの変数にして、話を進めます。生産関数が収穫低減の場合、一人あたりの資本の蓄積が進んだ先進国の経済成長率は、途上国の経済成長率より小さいのです。やがて、途上国の経済は先進国の経済に追いつきます、つまり、各国間の一人あたり資本および所得における経済格差はなくなるのです。世界の一人あたり資本および所得が同じ値に収束するので、絶対収束と呼びます。
 実際の経済データを用いて、この絶対収束が成立しないこと、途上国が先進国に追いついているとは言えないことがわかっています。なぜでしょうか?実は、前々回お話した、生産物のうち、どれだけ消費せずに貯蓄するかという貯蓄率が異なると、一人あたり所得が収束する値が異なるのです。また、人口成長率が異なると、一人あたり所得が収束する値が異なります。これらの貯蓄率、人口成長率の差異を考慮するという条件つきならば、一人あたり資本の小さい国は、大きい国に追いつき、一人あたり資本、所得が同じ値に収束する、というのが条件付き収束です。実際の経済データを用いた研究は、貯蓄率や人口成長率だけでなく、貿易政策などの違いも考慮して、条件付き収束が成立することを示しています。たとえば、アメリカの各州の間における、一人あたり資本、所得以外の変数の違いは、世界各国のそれらの変数の違いより小さいことが推測できます。この違いの小ささを利用し、アメリカの各州の間では条件付き収束が成立することがわかっています。
 次回は、生産関数が変化しないという仮定を外し、技術革新が起きる場合の経済成長のお話です。

(執筆:池上宗信)

日々是総合政策No.49

大阪はどう変わるのか(上)

 2019年3月大阪府の松井一郎知事と大阪市の吉村洋文市長がともに辞職して、松井氏が大阪市長選に、吉村氏が大阪府知事選に立候補することを表明し、両者ともに4月、当選を果たしました。地域政党「大阪維新の会」に所属する両名が、知事と市長の立場を入れ替えて選挙にのぞんだのは、党の最重要政策としてきた大阪都構想を実現させるためです。
 2017年4月に大阪維新の会と公明党が任期中に大阪都の賛否を問う住民投票を行うことを合意する文書をかわしていた(任期中とはいつまでなのかについては諸説ある)ものの、公明党からの協力が得られず、これが実現できないと松井・吉村氏らが2019年3月判断し、住民の信を問うため、出直し選挙に踏み切ったのです。
 しかし、松井氏の知事任期は2019年11月まで、吉村氏の市長任期は2019年12月までで、そのままの立場で選挙に立候補すれば、当選したとしても、それらの期間までしか任期がなく、構想実現のためには時間が短過ぎます。4年の時間を確保するために、立場を入れ替えてのクロス選挙となったのです。
 大阪都構想の目的は大阪市と大阪府の二重行政を解消することです。大阪市のワールドトレードセンタービルディング(WTC:現在の大阪府咲洲庁舎)と大阪府のりんくうゲートタワービルは、その高さを競って建設されました(後者の方が0.1m高い)が、どちらも巨額の損失が生じました。両高層ビルの建設は、市と府が似た事業を行う二重行政の典型例とされます。どちらか一つが事業を行う仕組みになっていれば、損失は少なくてすんだでしょう。
 高度成長の頃ならいざ知らず、少子高齢化が進み税収が上がりにくくなっている中、このような無駄を許しておく余裕はもはやありません。水道事業は、規模の経済が働く費用逓減産業として経済学の教科書に紹介されています。しかし大阪では、市内向けの水道を大阪市が管理し、大阪府が大阪市を除いた府内の市町村向けの水道を供給しています。これらを統合し一元管理に移行するのが合理的に思われます。ところが、水道料金が値上がりになる地域が出るなどの理由によって政治的な軋轢が生じ、実現できていません。

(執筆:奥井克美)

日々是総合政策No.48

生涯所得基準と消費税の逆進性

 前回(No.41)では、年間所得を基準にすると消費税は、高所得層ほど貯蓄率が高いため、逆進的であると述べました。今回は、貯蓄の目的が将来消費の準備にある点をふまえ、生涯所得を基準にして消費税の逆進性を検討します。
 生涯中に得る所得をW、生涯の消費税込みの消費をC、消費税はCのうちtの割合(0<t<1)とします。
 (1)この人が、人生百年の長寿時代のため、家族に資産を残す余裕がないと仮定すると、生涯の途中での貯蓄も将来時点で取り崩し、自分の消費に使います。つまり、生涯所得をすべて消費に使いきるので、
  C=W ①  が成立します。右辺は生涯の収入であり、これで左辺の消費税込みの生涯支出を賄います。
 さて、生涯の消費税負担はtCですから、生涯所得に対する生涯消費税の割合、つまり生涯平均税率は、①より、tC = tWを使うと
  tC /W=tW/W=t と表せます。
 tは消費税率であり各人に共通です。つまり、生涯平均税率は、Wの水準に関わりなく一定のtです。消費税は生涯所得に対する比例税となり逆進的ではありません。
 (2)しかし、上の人がBだけ資産を残すケースでは結論が変わります。その場合、式①は
  C+B=W ② と変わります。Wの使い方にBが加わるからです。このとき
生涯平均税率は、②より、tC = t(W-B)を使うと  
  tC /W=t(W-B)/W=t(1-B/W) となります。生涯平均税率は、B/Wに依存します。遺贈は通常の貯蓄と異なり、遺贈者が取り崩して消費できないからです。よって生涯所得に占める遺贈の割合、つまり、右辺のB/Wが高いほど、左辺の生涯平均税率は低くなります。通常、Wが高いほどB/Wが高くなりますので、生涯平均税率はWの増加とともに低くなり、個人単位で見る限り、生涯基準でも消費税は逆進的となります。ただし、その原因は貯蓄一般ではなく遺贈行為にあります。
 さらに、家族(家計)単位で考えると、遺族が相続した財産を消費に回す限り、遺族の消費税負担が生じます。

(執筆:馬場 義久)