日々是総合政策No.51

水戸黄門民主主義

 数年前に団体旅行で中国に行ったことがある。通訳兼添乗員は大学の日本語学科を卒業した26歳の中国人男性だったが、話す日本語がよく分からない。観光の説明なら良いが、「何時どこで集合」と伝える時は困る。でも私には彼の日本語が何となく理解でき、私が若者の通訳になってしまった。「この人の言いたいことは・・・です。」と言うと、若者が頷き自由行動が始まる。そのうち若者と話し込む機会が増えた。一人っ子で親元を離れ上海で単身アパートを借りている。家賃が高くて困っている。マンションを買わないと結婚して貰えない・・・。
 ある時、中国は自由が無くて不満ではないかと聞いてみたら、政治的な自由とか表現の自由とかなくてもビジネスができて豊かになれば良いのだと言う。チベットでもウイグルでも混乱を抑えて秩序を守り、一方で汚職や詐欺などをする悪い奴を捕まえてくれればよい。ふと元米国国務長官のキッシンジャーの「『秩序を取るか、正義を取るか』と問われれば、自分は間違いなく秩序をとる。」という言葉(A Biography、別宮貞徳監訳)を思い出した。でも、いつか自由などの基本的人権がないことに不満を覚えないか。
 欧米諸国は中国も経済発展すれば共産党独裁の政治体制は維持できなくなり、民主主義の価値観を共有出来るようになる。だから経済発展を支援するべきだという今までの信念が誤りだと気づいた。どんなに経済が発展してもどんな政治体制を取りうるし、経済発展による経済力や軍事力や高度な情報技術などを国内外の圧政に使うこともあり得る。
 19世紀初頭のドイツの哲学者ヘーゲルは、「東洋人は、(中略)自由であることを知らないから自由はないのです。かれらは、ひとりが自由であることを知るだけです。(中略)このひとりは専制君主であるほかなく」(歴史哲学講義、長谷川宏訳)と言った。中国は歴史上未だに真の民主主義を経験していない。若者は水戸黄門のように悪人を懲しめながら上手に統治し秩序を守り豊かになれば良いとする。この国はどうなるのだろうか。
 別れ際に「2~3年後にまた中国に来たら通訳に指名してあげるよ。」と言ったら、若者は「馬鹿にするな!その時は社長になっている。」と言い放った。そして雑踏の中に消えた。

(執筆:元杉昭男)