日々是総合政策No.61

日本的論理を疑う(2)

 デフレとは、英語の本では「持続的な物価の下落」と書いてある。つまり、ある程度の期間にわたって物価が下がっていく状態のことであるから、短期または一度限りの下落であれば、デフレとは言わない。
 一方、日本では、デフレとは「物価の下落による景気の悪化」という意味合いで定義されてきた。したがって、物価が下落しても景気が悪化しなければデフレではないし、物価の変動とは無関係に景気が悪化するならばこれもデフレとは言わない。
 日本の歴代内閣は、「デフレからの脱却」を掲げてきたが、ここには「デフレ=悪い状態」という認識がある。したがって、物価が下がり続けて消費者の購買力が高まることになってもデフレとは言わない。つまり、「持続的な物価の下落」が消費者に好ましい結果をもたらすような「良い状態」はデフレでない。また、「デフレ=物価の下落による景気の悪化」とすれば、「景気の悪化による物価の下落」もデフレとは関係ないことになる。
 このように、「持続的な物価の下落=原因、景気の悪化=結果」の場合だけ、日本ではデフレと呼ばれてきたのである。原因と結果が逆の場合、あるいは原因が同じでも結果が異なる場合(つまり景気が悪化していない)は、デフレとは呼ばれないのである。
 その一方で、消費者物価(皆さんが普段購入する商品・サービスの価格の総合指数)の動きを見て、日本では15年もデフレが続いたと発言する人が多い。しかし、実際には、物価が下がった時期が多かったとしても、15年にわたって物価がずっと下落し続けたという事実は存在しない。ただし、GDPデフレーターと呼ばれる国内総生産(GDP)に関わる物価については、15年にわたって下落したという事実はある。
 デフレのように、日本では、原因と結果を含めて定義することが多い。この定義の仕方が厄介なのは、「原因=客観的事実、結果=主観的判断」であることだ。歴代内閣が「デフレ脱却宣言」を躊躇する背景には、日本だけでしか通用しないこうした特殊な定義が関係している。

(執筆:谷口洋志)

日々是総合政策No.60

人口減少時代の中で起きている都心への人口集中

 平成27年国勢調査の人口等基本集計結果によると、2010年から2015年の5年間に人口が増加したのは8都県で、残り39道府県では人口が減少している。この5年間で日本の人口は96万2千人減少(2010年から0.8%減)しているので、人口が増加しているということは、転居による社会増が大きく影響している。人口増加が最も多いのは東京都で、35万6千人(2010年から2.7%増)の増加、そのうち23区は32万7千人の増加で、東京都の人口増加はそのほとんどが都心部分である23区内で発生している。
 東京都への人口集中の内容について、2010年から2015年の5年間のうちに住所が変わった者の割合で見てみると全国計に比べて東京都は15%ほど高く、23区だけで見ると20%ほど高い。これで分かるのが、人口減少が続く地方は、定住率が高く、人口の流動性が低いことである。生活の豊かさを求めて転居が出来る人口の流動性の高さが社会の豊かさを示す時代になっているのではないだろうか。
 社会の未来が見えない中、自己責任を求められた市民は、自らの生活を守るという観点から居住地を選択した結果、東京への人口集中は続く一方で、地方の急速な人口減少を引き起こしている。今、世界で問題となっている「分断社会」の問題は、発展により社会が広域化するなかで、その流れの速さについて行けない人々が多数発生していることを表している。流れについて行けない人々は、急激な変化を嫌う安定志向を強め、自己中心的な発想が様々な軋轢を生み、社会における相互作用の糸が切れ始め、社会の活力の低下に繋がっている。
 人口減少時代という、社会における新たな局面を迎えた日本においては、地方の急速な衰退が予測され、社会は地方と都会が分断されていって、これまでのような全体の繁栄が社会の隅々まで行き渡ることは難しくなる。将来像をしかり描いて、持続可能な社会をいかに造っていくのかという舵取りが出来る社会、ガバナンスが機能する社会を、いかに構築していくのかが政治の責任として問われているのである。

(執筆:金子邦博)

日々是総合政策No.59

県民経済計算の充実を

 県民経済計算とは全国レベルGDP統計(国民経済計算)の都道府県版です.内閣府は,それを「経済分析はもとより,県の行政・財政、経済に関する政策決定や,政策効果の測定など様々な分野で利用されている重要な統計情報の一つ」と位置づけています.実際,地域経済を分析する場合は県民経済計算を利用するしかありません(注1).
 しかし,その作成方法を知ると,県民経済計算をどれくらい信頼して良いのか不安になります.というのも,このように重要な統計と位置づけているにもかかわらず,その算定はそれぞれの都道府県が別々に行っており,国は単に都道府県が算定した数値をまとめているに過ぎません.そして,数値の作成には国が示す統一的なガイドラインが有るにしても,細かいところを見ると,実際の作成方法は都道府県でいろいろと異なっています.
 この問題は,近年,沖縄県の県民所得を巡って不必要な混乱を招きました.2012年度の県民経済計算によると,沖縄県の1人当たり県民所得は203.5万円で全都道府県最下位(47位)でした.しかし,高知県(同45位)の方式で計算し直すと,沖縄県の同値は全国28位の266.5万円へと増加したのです(注2).また良く知られていることですが,県民経済計算にある各都道府県のGDPを足し合わせても,国民経済計算にある日本のGDPと一致しません.つまり,国民経済計算との最低限の一貫性も保たれていません.しばしば「中国の省単位のGDPを合計すると中国全体のGDPを上回る」とマスコミが中国の統計体制を揶揄することがありますが,それと同様のことが日本でも起こっているのです.つまり,嘆かわしいことに「県民経済計算」は先進国の地域統計の体をなしていないのです.
 少子高齢化の高進,人口・労働人口の大幅減少のなか,今後,地域経済は大きく変動すると考えられます.そのような事態を系統的に捉えることができる唯一の統計が県民経済計算です.そうであるにもかかわらず,これらの県民経済計算の問題に関しては何の議論も対応も行われていないようです.国は都道府県が推計をバラバラに行っている現状を放置している現状を改め,早急に率先して県民経済計算の作成体制を整備し,地域統計の質の向上に尽力すべきです.

(執筆:林正義)

(注1)内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部「県民経済計算標準方式(平成 23 年基準版)」平成31年8月30日閲覧https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/hyojunb23.pdf
(注2)産経新聞 「沖縄県の県民所得,低く計算.計算方式変更で最下位維持『基地問題が経済的足かせになっていることを示したいのでは』」産経ニュース.2017.1.5 07:37.平成31年8月30日閲覧https://www.sankei.com/politics/news/170105/plt1701050006-n1.html

日々是総合政策No.58

位置づけ・意味づけ・秩序づけ

 前回(No.45)述べたように、ある社会の政策決定は、時間を越えて、その社会の将来世代に色々な影響を及ぼします。例えば、1937年7月の盧溝橋事件に始まる日中戦争や1941年12月の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争(大東亜戦争)について、当時の日本政府が下した政策決定は、日中戦争や太平洋戦争に全く関与していない戦後生まれの日本国籍の人々にも負の遺産をもたらしています。
 これは、前回考察した地球温暖化対策が有する外部性と同じく、将来世代への政策の外部性の一事例で、「政策の通時的外部性」といえるものです。
 政策を総合的に研究するとき重要になるのは、時間軸と空間軸から構成される時空の中で、社会や文化や歴史や社会問題や政策や人間を、どのように位置づけ・意味づけ・秩序づけるかです。いまの日本で日本国籍をもつ一人の人間として、各日本人が日中戦争や太平洋戦争という歴史的事柄をどのように位置づけ・意味づけ・秩序づけるかで、いまの日本を「より良い社会」に変えようとする人間の営みも違ってきます。すべての日本人が、これらの戦争について十分な情報をもっているわけではありません。追加的な情報を獲得することの便益と費用を比較考量して費用の方が便益よりも大きければ、それ以上の情報を獲得せず情報欠如になります。この状態は、政治過程を経済学的に分析する公共選択論では「合理的無知(rational ignorance)」といわれています。
 合理的無知の状況にある人々に、日本国内外の歴史専門家や政府や学校やメディアなどが日中戦争や太平洋戦争の情報を提供しています。しかし、その情報は情報提供する主体の独自の窓から取捨選択された情報になります。そうした情報を基に、各人は日中戦争や太平洋戦争を位置づけ・意味づけ・秩序づけます。戦争だけでなく考察の対象にする事柄に関する、位置づけ・意味づけ・秩序づけとは、次の通り定義できます。
 位置づけとは、その事柄を類型化した範疇の中で特定化しその位置関係を同定することである。意味づけとは、その事柄に特定の視座から物語としての意味を与えることである。秩序づけとは、その事柄の位置づけと意味づけに基づき、その事柄について取り組むべき活動の優先順位を決めることである。

(執筆:横山彰)

(注)本随筆は、横山彰(2009)「総合政策の新たな地平」中央大学総合政策学部編『新たな「政策と文化の融合」:総合政策の挑戦』6頁(中央大学出版部)の一部について加筆修正を加えたものである。

設立記念研究集会 開催のご報告

当フォーラムの設立記念研究集会を下記の通り開催いたしました。

日時:2019年8月31日(土) 13:30~(13:15 開場)
会場:中央大学 駿河台記念館6階610号室【アクセス

プログラム:
13:30-13:35 開会の辞

13:35-14:20 基調講演 「地域社会を支える総合政策」
        講演者:横山彰(代表理事・中央大学名誉教授)
        【資料

14:20-15:20 研究プロジェクト企画の概要発表・討論
「ケニア北部・エチオピア南部におけるインデックス型家畜保険の需要と貧困動学、需要増加のための経済実験」
 池上宗信(理事・法政大学教授)
「途上国における電力価格政策の集積分析」
 後藤大策(理事・広島大学准教授)
「米中日とアジア途上国・地域の経済関係」
 谷口洋志(理事・中央大学副学長)
「人口動態の変化と地方政府の持続可能性」
 中澤克佳(理事・東洋大学教授)
「民主主義デザインと公共選択:こども・若者の政治参画・社会参画」
 矢尾板俊平(理事・淑徳大学教授)
「多文化共生社会の総合政策研究」
 横山 彰(代表理事・中央大学名誉教授)
 山内 勇人(研究員・中央大学政策文化総合研究所客員研究員))
 分科会1「多文化共生の多中心的連携活動」
 分科会2「多文化共生の人文学的基礎」

15:30-16:45 パネル・ディスカッション
テーマ:「コンパクトシティと自治体連携」
コーディネーター:矢尾板 俊平(理事・淑徳大学教授)
パネリスト(五十音順)
 磯道 真 氏(日経グローカル編集長)
 後藤 大策氏(理事・広島大学准教授)
 田中 聖也氏(総務省自治行政局市町村課長)
 山田 正人氏(東京大学公共政策大学院客員教授、元横浜市副市長)

16:45-16:50 閉会の辞

※詳細は、PDFファイルをご覧ください。