相手の立場に立って考える(1)
相手の立場に立って考えてみると、見えなかったことが見えてくることがある。これはかなり汎用性のある考え方であり、きわめて経済学的な見方でもある。
たとえば、2000年代前半に、日本の携帯電話がなぜ中国では売れずに撤退することになったのかを考えてみよう。2005年3月末から1年間の予定で上海にて在外研究をすることになった私は、当時、上海の渋谷と言われた徐家匯(xujiahui)の近代的高層ビルの2階か3階のフロアにあった携帯売り場に行った。野球場のような広さの売り場では通信機器(電話機)や情報機器(コンピュータ)が売られ、その一角に携帯電話売り場があった。
売り場に行くと、数ある携帯電話の中で、日本メーカーの携帯電話は高機能・高品質・高級品であった。値段は最低でも2000元(3万円前後)以上で、3000~4000元の機種もあった。その価格は、多くの人の月収を上回る金額であった。私の知人も携帯電話を見に行ったが、高くて手が出せず、高根の花と言っていた。
しかし、韓国製品や中国製品は日本製品の2分の1から3分の1の価格で売られていた。結果として、売り上げの中心が、高額商品でなく、中低額商品であったことは言うまでもない。そのとき、このような高額商品を買うのは誰だろう、どれだけの人がこれを買いたいと思うだろうかと考えてしまった。しかも、高層ビル近くには中古の携帯電話を100~500元で売る店がいくつもあった。
まだ豊かな人が少なかった当時の上海では、若い人を中心に携帯電話を持つ人が増えていたが、中古の携帯電話を持つ人が多かった。こうした状況をみて、私は、(収入が相対的に少ない)若者が集中する繁華街でなぜ高額・高級品を日系メーカーが販売するのか理解できなかった。買う人間などほとんどいないだろうと思っていたら、案の定、日系メーカーの中国からの撤退報道が伝わってきた。いったい、どのような顔を浮かべて製造し販売しようとしたのか。おそらくは、相手のことなど眼中になかったのだろう。日本の製品・サービスに関するこうした事例は枚挙にいとまがない。
(執筆:谷口洋志)