精神的備蓄-黒川和美先生の思い出-
霞が関中がうなされたPPBS(注)の熱も冷めた頃、農林水産省の担当部署であるシステム分析室で、法政大学助手だった黒川先生と知り合った。当時の農林水産省はコメの生産調整、政府買上げ米価引上げ、経営規模拡大の行き詰まりを抱え、日々批判を受けていた。私は灌漑などの土木事業を専門とする技術官僚(技官)で、国の助成による灌漑事業などへの影響を心配したが、先輩諸氏からは「農業は大切だ」位しか返ってこない。先生の公共経済学の視点は新鮮だった。
「アフリカ東岸で使われている“スワヒリ語”で話してもダメだ。広く理解されるには“英語”でないと通じない。」と言われたことがある。霞が関(広く国民)の“英語”は法学や経済学ではないか。自分のライフワークの根源を知る旅には“英語”の習得が必要だ。思い立って、黒川先生を講師に半日出勤だった土曜日の午後に若手10人程度が集まって1回1人1000円会費で経済学の勉強を始めた。先生が素人質問に丁寧に答えられるので、毎回2時間が4時間になり、さらにビールを飲みながら役所の会議室で夜遅くまで続いた。雑誌への投稿や講演もお願いして、“英語”教育をして頂いた。
そんな中で、聞きかじりの理論を借用したつもりで、「日本人は国際水準と比較して常に高価なコメを買っているので、もし国際市況が悪化してもコメを買うだけの心構えがすでに出来ている。一種の精神的備蓄ではないか。」と主張したら、先生は雑誌に紹介して「日本が高価格に対して最も精神的弾力性が高い」と解説し、長期的視点で別の視点から考える大切さを説いた。後日、各省庁の集まる会議で先生が精神的備蓄論を紹介したら、皆がその通りと云ったそうである。霞が関の役人は常に社会的政治的な安定を考えている。
それから間もなくして第2次臨時行政調査会による行政の徹底的な見直しが始まった。あの時のメンバーが呼び出された。黒川学校で習った公共経済学を“英語”だと信じて、批判に対する反論も自己批判もした。あれから40年。黒川学校は私の役人人生で“精神的備蓄”だったのかも知れない。
(注)planning-programming-budgeting systemの略。1960年代に米国で採用された財政の管理を科学的にして限られた予算で最も効率よく目的を達成するための制度である。
(執筆:元杉昭男)