日々是総合政策No.223

異文化理解とは

 日本を代表する国際的な知識人であった加藤周一が、「翻訳の勧め」というエッセイで、次のように述べています。

「・・・異文化を理解するとはどういうことか。ある概念を理解するとは、それをその人自身の概念の体系へとり入れ、そこで位置づけ、他の概念と関係づけることであり、あるものを理解するとは、その人の世界観の体系に新たな要素としてそのものをつけ加えるだけではなく、体系の秩序へ組み入れることであろう。そういう体系は一般に特定の文化のなかでは、少なくとも大すじにおいて、与えられた概念的枠組みである。翻訳は異文化のー すなわち他の概念的枠組みのなかの特定概念を、自己の枠組みのなかで定義しなおすことである。」(注)

 翻訳の辞書的意味は、広辞苑第六版によれば、「ある言語で表現された文章の内容を他の言語になおすこと」ですが、加藤のいう翻訳はより広い意味内容を持っています。皆さんが古文を勉強しているのは、古文の内容を現代日本語になおす異文化理解なのです。加藤は、これを「通時的翻訳」と言っています。
 現代日本語を母語とする人々の間でも、他者理解には翻訳が必要になります。他者の書いた日本語の文章や他者の発した日本語を理解するということは、概念的枠組みが個人間で異なれば、自分の概念的枠組みの中で定義しなおすことに他ならないのです。つまり、他者の言葉を理解するには、その言葉を自分の言葉に翻訳する必要があります。加藤は、他者とりわけ強大なマス・メディアを利用することのできる力ある集団が発する言葉を、自分自身の言葉に翻訳することを勧めました。この翻訳を、加藤は「批判的翻訳」と言います。
 異文化理解の第一歩は、概念的枠組みの異なる他者が表現した言葉や文章の内容を、自分自身の概念的枠組みの中で自分の言葉に翻訳することです。次に、その翻訳の対応関係を手掛かりに、他者の概念的枠組みを推測して、自分の言いたいことを他者に分かるように自分の選択した言葉で伝え、本当に伝わったかを確認する作業を互いに繰り返すことで、相互に他者理解としての異文化理解を深め合うことができるようになるのです。

(注)加藤周一『夕陽妄語』第3輯、123-124頁、朝日新聞。

(執筆:横山彰)