日々是総合政策No.290

アーロン収容所

 朝の通勤ラッシュのピークを過ぎた地下鉄の車内で、向かいの席の若い女性が一生懸命化粧をしていた。口紅を少し直すのでなく本格的だ。化粧は化けると意味を含み古来には神事で神様の心を和らげる意味があったらしい。神様でない私には、舞台裏を堂々と見せられているようで違和感を覚えた。昔はあり得ないことだと思いながら、小学生の時の山手線で見た風景を思い出した。
 ステッキを持ち中折れ帽をかぶり上等な背広を来た小柄な老人が車内を小走りに歩く。後から秘書らしい中年の男が大きなカバンを大事そうに抱えて懸命に続く。ブツブツ言いながら邪魔になる乗客の組足をステッキで叩く。乗客も呆れるばかりだ。運転手付きの社長車に乗る人物が何故かこうなったようだ。そうでなければ喜劇映画の一幕だ。オーナー社長風の老人は車内を自社の廊下と同一視し、化粧をする若い女性は車内を自宅の化粧室とか洗面所と思っている。2人とも“場違い”を地で行く。
 でも、もしかしたら。3年間勤務したミャンマーのアーロン(現ヤンゴン市内)にあった英軍捕虜収容所での会田雄次氏(西洋史学者)の体験に繋がるのではないか。収容所では強制労働として英軍兵士の部屋の清掃作業もある。ある日、部屋に入ると、女兵士が全裸で鏡の前で髪をすくっていたが平然としている。常識では考え難いが、日本人を家畜と同様に考えているようだ。犬や猫に見られても恥ずかしがることもない。西欧人の人種差別意識を暴き出したと言われる。
 車内で化粧に勤しむ彼女は“場違い”の意識でなく、他の乗客を家畜並みに考えているのではないか。目的地の駅に到着した。ドアが開き、犬が出る。猫、牛、馬、私と続く。彼女は動物に目もくれず化粧に専念している。でも、車内の女性全員が化粧をし始めたら、犬も猫も牛も馬も居た堪れずに噛みつくかもしれない。いや、更に老若男女全員が自分以外を動物と考えて、化粧だろうが何だろうが勝手にやれば、車内は大混乱、カオスとなる。アーロン収容所では英軍の武力が動物達を統制しているに過ぎない。
 そう思いながら、雑踏の中で他人と接触しないように上手に歩いている自分に気づいた。

(参考文献)会田雄次(2018)「改版 アーロン収容所-西欧ヒューマニズムの限界- 」(中公新書)

(執筆:元杉 昭男)