日々是総合政策No.284

再考:純資産税(9)-相続税との比較

 今回は、資産の世代間移転に注目し、累進的な純資産税と相続税を比較します。純資産税が毎年の資産に課税し資産保有の格差を是正する一方、相続税は親の死亡時に相続する資産に課税します。つまり、相続税は世代間の資産移転税です。
 たとえば、超富裕な親から莫大な遺産を相続した子は、自身で稼がなくても大学への進学を目指せます。逆に、家庭が貧しいために大学進学を断念する子もいるでしょう。
 相続税は,高額の相続ほど手取り資産を大きく減らし、後の世代での機会の不平等を緩和します。また、多くの場合、超富裕者の子が得た相続財産の大部分は彼の努力(労働供給等)の結果ではなく、裕福な家に生まれたという幸運によります。この時、相続税は強い説得力を得るでしょう(注、p.356より)。
 他方、個人単位で納税する累進的純資産税は、超富裕家計における資産の世代間移転に「補助金」を与えます。いま、3億円までの資産は課税せず、それを超えた額に5%の税を課すとします。10億円の資産を保有する親が4億円を、保有資産ゼロの子に移転すると、親の税は2000(=3500-1500)万円減り,子の税が500万円増えて、親子の合計で税が1500万円減ります。つまり、減税により超富裕家計の世代間移転を後押しするわけです。
 しかし、相続税にも課題があります。
 第一に、「死亡時のみの課税」が超富裕層に租税回避の時間を与えます。彼らは、早い段階から有能な税務専門家を雇い、様々な租税回避を図ることでしょう。
 第二に、本来、累進課税すべきは生涯にわたって得た相続の累積値です。よって、死亡時以前の生前贈与の捕捉が必要です。
 第三に、実際には課税ベースが狭くなります。配偶者の相続税は、配偶者控除や非課税措置により大幅に軽減され、また、家族間のスムーズな事業継承を狙って、農地・非上場株式等が非課税扱いにされます。
 最後に、注のp.357が示唆するように、機会の不平等緩和策について、相続税と他の施策(教育費援助策等)との役割分担も求められます。


 Adam,S., Besley,T., Blundell,R., Bond,S., Chote,R., Gammie,M.,et al.(2011),
  Taxes on wealth transfers. In Tax by design, The mirrlees review ,
  pp.347-367, Oxford University Press.

                        執筆 馬場義久

日々是総合政策No.283

社会保障の財政安定化と予防医療(下)

 日本の社会保障においては、給付の範囲と方法の見直し(自己負担の調整を含む)の他に、社会保険料等の財源の安定確保が重要課題になっています。これについて、予防医療の促進と併せた検討が有用とされ、一例として前回(No. 282)は、健康経営、健康日本21、データヘルス計画を見てきました。
 これらは、2010年代前半から段階的に実践されており、普及・浸透と成果の向上に向けた調査・研究が進められています。主な課題として次の3つがあげられ、第1は一次予防から二次予防までの強化にあります。健康経営、健康日本21は一次予防が基本になっていますが、一定の成果を確保して重症化の抑制につなげる上で、データヘルス計画を踏まえた対応が重要とされます。具体的には、医療保険者と医療機関の連携を強化した上で、各人の保健・医療データを早期発見・早期治療にも活用する体制が必要になります。
 第2は、セルフケア(セルフメディケーションを含む)の促進です。予防医療は、主に国と地方自治体、企業(雇用主)、医療保険者により提唱されていますが、各人・患者の主体的参加が前提になります。この場合にはセルフケアが有用とされ、予防への参加意識を高める情報の提供と活用が必要になります。これは、次の第3の課題にも関係しており、特にPHR(Personal Health Record)の導入・活用を指しています。
 PHRは、バイタルデータ、検査結果、治療・服薬歴等の情報が電子化された個人記録であり、狭義には患者と医師(担当医)において共有されます。利活用の機会としては、対面診療や遠隔診療に限らず、上記のセルフケア、健康管理や在宅医療があげられます。PHRは、各人・患者がこれらに長期的に参加するための情報にもなりうるとされ、医療IT(ICT)化の一つとして検討が行われています(注1)。
 これらは、医療制度のあり方に関係する課題でもあります。医療制度は、主に外来・入院治療の提供体制と診療報酬、保険給付の範囲と方法により規定されますが、現代では多様な要因を踏まえた議論が必要になっています。少子高齢化の進行と労働力人口の減少、各健康リスクや疾病構造の変化に対応する施策の一つとして、予防医療を促進する方向での検討が有益と考えられます(注2)。

(注1)PHRについては、主に次の2つを参照。日本版PHRを活用した新たな健康サービス研究会(2008)「個人が健康情報を管理・活用する時代に向けて−パーソナルヘルスレコード(PHR)システムの現状と将来」http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/
downloadfiles/phr_houkoku_honbun.pdf#search(2018年7月21日最終確認)、厚生労働省(2020)「PHR(Personal Health Record)サービスの利活用に向けた国の検討経緯について」https://www.mhlw.go.jp/content/11909500/000741661.pdf(2021年12月25日最終確認)。PHRは、各人に健康と医療の情報を提供するツールの一つとして有用ですが、これを導入する際には、個人のプライバシー保護の方法についての検討も必要になります。
(注2)日本の医療制度は、1961年以降、社会保障の中核として拡充されており、これが広く浸透する中では、短期間に制度の見直しを行うことはできないと考えられます。上記3つの課題についても、一次予防と二次予防の連携、担当医(かかりつけ医)と診療報酬のあり方、予防医療におけるIT(ICT)化の方法等の検討が必要になります。こうした課題が残されていますが、健康維持・増進(あるいは健康寿命の延伸)の重要性が高まり、また、検査機器と治療技術の高度化により、早期発見・早期治療の成果向上が期待される現代では、予防医療には大きな意義があると考えられます。これは、医療制度改革、社会保障財政に限らず、広くは経済に関係するテーマでもあり、日米の事例を参考に、機会をあらためて検討します。なお、アメリカにおける予防医療は、民間ベースでの運用・管理が基本であり、1980年代以降、民間保険団体(企業と保険団体の連携を含む)のプログラムとして広く実践されています。成果の一例として同国では、生活習慣病の中でも大腸がん、胃がんの罹患者数と死亡者数が(対人口比で見て)減少傾向にあります。これについても、日米における予防医療の具体策と動向を踏まえ、新しい資料を参考に別の機会に考察することにします。

(執筆:安部雅仁)

日々是総合政策No.282

社会保障の財政安定化と予防医療(中)

 予防医療は、本来、医学・医療の一領域として研究、実践されますが、社会保障の中でも年金と医療の財政安定化において有用と考えられています。今回は、関連施策の一例として、健康経営、健康日本21、データヘルス計画を取り上げます(注1)。
 健康経営の目的は、労働者の健康と生産性を管理して、健康に関連するコストを抑制することにあります。こうしたコストは、各労働者の健康リスクの数と状態によって異なるとされ、1人あたりでは1年間に最大で90万円程度になると推計されています(注2)。図1は、実態調査の一例として、総コストの内訳を見たものです。

図1 健康関連総コストの内訳

出典)厚生労働省(2017)「コラボヘルス ガイドライン」厚生労働省保険局、p.35等より作成。
注)「プレゼンティーズム」は心身の健康状態が良くない中での就労、「アブセンティーズム」は傷病の治療のための欠勤それぞれに伴う生産性の損失(ロス)を指している。これらは、医療費(薬剤費を含む)や傷病手当金支給額、労災補償費につながる要因にもなる。上記の割合は、小数点第2以下の四捨五入の関係で100%にはならない。

 健康経営においては、各企業と医療保険者(主に健康保険組合、協会けんぽ)の連携により、プレゼンティーズムを抑制することが重視されます。具体的方法は、定期健診と特定健診、ストレスチェックにより健康リスクを把握して、ウェルネス・プログラムやワーク・ライフ・バランスの実践によりこれを低減させることにあります(注3)。こうした取り組みは、各労働者のQOLと生産性の維持の他に、長期就労が可能になった際には、年金財源の負担者の維持・増加において有用とされます。
 健康日本21の基本目的は、各人の健康寿命を延ばした上で、平均寿命との差を縮めることにあります。QOLの長期的維持が要件とされますが、健康リスクは年齢や性別により異なるため、これに応じた対応が必要になります(注4)。この中でも、労働者の家族(配偶者、高齢者等)の健康増進は、上記の健康経営との関係において有益とされます。家族(遠方に住む家族を含む)の誰かが外来・入院治療や在宅ケアを受ける際には、付き添いや看病のための欠勤・休職が必要になるケースがあります。これに伴う生産性の低下を抑制する上でも、家族の健康が重要になります。
 上記2つの施策について、根拠に基づく保健・医療サービスが提唱されています。データヘルス計画はこれが想定され、保健・医療データの活用が基本になります。具体的には、①定期健診と特定健診の結果やレセプトの情報収集、②健康リスクの種類や発症リスクの分析、③健康管理と保健指導、二次予防への情報の活用があげられます(注5)。これらは、医療費(健康保険料)の増加率抑制につなげる上でも有用と考えられています。

(注1)健康経営については、No.92のエッセイを参照。健康日本21については、厚生労働省(2012)「健康日本21 総論」https://www.mhlw.go.jp/www1/topics/kenko21_11/pdf/s0.pdf(2018年12月14日最終確認)、データヘルス計画については、厚生労働省(2017)「データヘルス計画 作成の手引き(改訂版)」https://www.mhlw.go.jp/file/06-Seisakujouhou-12400000-Hokenkyoku/0000201969.pdf(2020年9月23日最終確認)等を参照。
(注2)健康リスクについては、No.278のエッセイを参照。
(注3)ウェルネス・プログラムは、各職場内での健康増進の取り組みを指しています。この場合には、業種・職種に応じたプログラムが望ましいとされます。
(注4)具体策の一つとして、各医療保険者やIT関連企業は、生活習慣の改善や健康管理、セルフケアの情報を提供しています。
(注5)二次予防は早期発見・早期治療が基本であり、早期発見はCTやMRI等による精密検査、早期治療は検査結果に基づく初期段階での治療をそれぞれ指しています。

(執筆:安部雅仁)

日々是総合政策No.281

医療・ヘルスツーリズムに掛かる期待     

 地方創生に取り組んでいる日本社会を新型コロナが襲う日々が続きました。ようやく下火になったようですが、パンデミック再来に備え、強靭かつ健康な社会づくりが切望されています。
 地域社会の基盤を構成しているのはコミュニティビジネスです。コミュニティビジネスは、中小企業、小規模事業、ベンチャービジネス、スターティング・アップ企業などの営利型と、公立病院など非営利型のソーシャルビジネスに分類されます。
 地域医療は後者の典型的な事例ですが、その核となっているのが、かかりつけ医、保健所、公立病院です。しかし、これらの機関はいずれも次々に感染するコロナ患者の対応に追われ続けました。特に人口が10万人未満の市町村に立地している公立病院の経営は苦難を伴いました(注1)。
 政府の資金が医業を継続させる効果を発揮しましたが、コロナ対策として投じられた補助金・助成金が今後とも継続する可能性は少ないと思われます。そこで、経費を切り詰めるだけでなく、医業を持続する収益の獲得がポイントになります。ソーシャルビジネスに限らずコミュニティビジネスは一般的に信用力が弱く、資金調達が厳しい状況に置かれています。
 それを克服する一案が、医療・ヘルスツーリズムを活用することと思われます。これが地域発グローバル化につながるようにも思われます。事実、日本の34カ所の医療機関がJCI(Joint Commission International)の認証を得ています(注2)。その中には公立病院である南砺市民病院も含まれていますが、まさしく、地域発グローバル化への道を開くように思われます。
 同様に、ヘルスツーリズムには、医療・介護関係者、公的保険外の運動・栄養・保健サービス事業者、異業種事業者が参入(注3)、コミュニティを活性化することになりそうです。2020年にヘルスツーリズム認証制度が立ち上がったことも追い風になりそうです。さらに、雇用と所得が増加する社会において、医療・ヘルスに対する市民・住民の共感が高まり、政府の補助金・助成金や官民ファンドだけでなく、NPO・NPOバンクやクラウドファンデイングを通じた市民ファンドがコミュニティ、地域を活性化していく循環に期待できるのではないでしょうか。                       

(注1)2019年度から2021年度にかけて病院数は857病院から849病院に減少、病床数は205,259床から201,893床に減少しています。総務省(2020)「公立病院の現状について」、https://www.soumu.go.jp/main_content/000742388.pdf(2023.3.14 アクセス)

(注2)JCIは、1994年に米国の病院評価機構から発展して設立された、医療の質と患者の安全性を国際的に審査する機関です。JCI認定医療機関(2018)、https://www.medical-tourrism_or.jp/jci_list/(2023.1.26アクセス)

(注3)3つの類型については、経済産業省(2019)「ヘルスケアサービス参入事例と事業化へのポイント」、https://meti.go.jp/policy/mono_info/service/ healthcare/ downloadfiles/bissinessmodel-pdf(2023.1.11 アクセス) を参照して下さい。

   (執筆:岸真清) 

日々是総合政策No.280

再考:純資産税(8)-地方純資産税の再分配機能

 本コラムNo.271No.277で紹介したように、スイスとスペインは地方純資産税を採用しています。しかし、地方分権を想定した国と地方の税源配分論によると、再分配を目指す税制は地方税ではなく国税が望ましいとされます。分権下経済では、税率等が各地方により自主的に決定され地方間で税率格差が生じるので、富裕層が高税率の地域から低税率の地域へ移動しかねません。移動が生じると、高税率の純資産税による再分配は実現しません。純資産税が国税であれば税率等が全国共通なので、国内地域への移動誘因は生じません。ただ、以上は理論の話です。
 そこで以下、スペインでの実際を紹介します。注は、2011年に再導入された同国の純資産税をとりあげ、他の州からのマドリード州(以下、M州と記す)への移動を推計しました。M州に注目するのは、M州だけが純資産税の税負担をゼロとし、他の州はすべて、税率に基づき正の税負担を課すからです。
 まず、M州では、2015年の純資産税申告者数が2010年に比べ約6000人増加し、他方、16の他州の申告者数は平均で375人減少しました。なお、M州で申告を必要とするのは、居住地の確認と共に、申告資産と税率に基づき暫定税額を算定した上、それを全額税額控除し税負担をゼロとするからです。
 注意すべきは、M州への移動が主に虚偽の居住地申告であった点です。法律上、税負担ゼロを享受するには、主要な住宅による居住地がM州でなければならないのに、別荘等の所在地を利用したわけです。Evasion(脱税)の一種です。
 次に、M州では資産保有額の多い順に並べた上位1%層の資産額が、2010年に比べ16%増加しました。これは、仮に、税による移動がないとした場合の資産増加8.7%の約2倍です。他方、他の諸州では上位1%層の資産シェア(全資産額に占める上位1%層の資産額の割合)は減少しています。
 M州のみの税負担ゼロ措置が、超富裕層による税負担回避=虚偽の地域間移動を招いたわけです。以上から、注は、M州を国内的なタックヘイブン(租税回避地)と呼んでいます。

注 Agrawal, D., Foremny, D. & Martinez-Toledano, C. (2020),”Paraisos fiscales, wealth taxation, and mobility” IEB Working Paper 2020/15.

    (執筆 馬場義久)

日々是総合政策No.279

情報の信託 ハエ取り紙効果 丸坊主

 入学したばかりの公立中学校で、生徒数の減少から近隣の学校との合併が決まった。男子生徒の一番の関心事は、校則で「男子は丸坊主頭」としていた相手の学校と合併したら全員丸坊主になるのではないかという恐れである。新聞委員だった私は多くの生徒の心配を背に、校長先生に取材を試みた。先生は「そうならない」と話され、大スクープと信じて生徒新聞に掲載した。しかし、合併後の新たな学校の校長には合併相手の校長が決まった。翌年度、私は冷たい視線を浴びながら、他の生徒とともに丸坊主になった。
 昭和から平成に変わる頃、今は廃止された食糧管理制度の下で年末に生産者米価が決定される。農業団体は農林水産省を囲み、与党国会議員グループ、食管会計赤字を危惧する大蔵省や構造改革の遅れを恐れる農水省が交渉を繰り広げる。大臣や食糧庁長官などが中心に交渉し事務方は資料作りを続ける。マスコミ関係者は省内を走り回り情報を掴もうとする。騒然とした中で、政務次官であった旧知の中川昭一代議士が省内で予算作業待機中の私を呼び、「どうしたら良いのか」とそれとなく聞かれた。思わず、「先生の役目はハエ取り紙みたいなものです」と言ってしまった。事務方からの公表可能な決定や状況を話しつつ記者の方々を次官室に引き付けておく役目だと言いたかった。失礼な言い方だが交渉や事務作業の担当者は対応できないのだ。中川次官は次々に来室する各社の記者に買い込んだ寿司を振舞いつつ懇談しながら情報を伝えた。私は取材側の熱意や本音を聞き出すテクニックに感心した。
 そんなことを思い出しながら、安倍元総理の国葬での菅前総理の弔辞について、テレビ局の報道局員の玉川徹氏による「電通が入っている」とした事実誤認発言が気になった。事の大小とか論点とかモラルとかの問題ではない。信頼の問題なのだ。SNSや検索サイトにはフェークニュースが溢れている。マスコミを統制下におく権威主義国家なら別だが、既往のテレビ・ラジオ・一般紙こそが正しいニュースや信頼できる情報を伝える役目が期待される。民主主義国家・社会の根幹を支える基盤ではないか。情報に溺れそうな現在、人々は情報の信託を求めている。

 (執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.278

社会保障の財政安定化と予防医療(上)

 日本では、社会保障の財政安定化は、重要な政策課題になっています。社会保障の中核は年金、医療、介護の社会保険であり、これらの給付費は、主に高齢化に伴って増加しています(表1)。

注)1990年の介護は、福祉その他に含まれており、2000年の介護保険制度の導入以降、これは個別の項目として表示される。福祉その他は、主に生活保護、児童福祉、障がい者福祉を指している。
出所)国立社会保障・人口問題研究所(2021)「社会保障統計資料」https://www.ipss.go.jp/ss-cost/j/fsss-R01/R01.pdf(2022年10月10日最終確認)、内閣府(2021)「高齢化の現状」https://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2020/html/zenbun/s1_1_1.html(2022年10月10日最終確認)より作成。

 基本財源は、社会保険料と公費(国と地方自治体の財政負担)ですが、経済の低成長と財政赤字の長期化により、財源の安定確保が次第に困難になっています。不足財源の一部は、公債発行収入に依存しており、公債残高の対GDP比が大きく上昇しています(注1)。
 こうした課題について、様々な対策が検討・実行されています。具体的には、社会保険料率と消費税率、医療と介護の自己負担率それぞれの引き上げがあげられます(注2)。また、診療報酬と介護報酬の増加率の抑制や薬価基準の引き下げの他に、年金の受給開始年齢の引き上げが行われています。
 負担の増加と給付の抑制が基本的方向になっていますが、人口動向や疾病構造の変化を踏まえた議論が必要になっています。人口動向については、周知のように、少子高齢化が進行する中で、総人口が減少しています。課題の一つは、主な負担者としての労働者、特に若年労働者が減少する一方、健康リスクのある高年齢の労働者が増加することにあります。健康リスクは、血圧・血糖値の上昇、肥満、喫煙・飲酒習慣、運動・睡眠不足、ストレスを指しており、広義には既往症が含まれます。
 これは、年齢や性別、体質により個人差があるとされますが、加齢に伴う疾病、とりわけ生活習慣病の一因にもなっています。生活習慣病は、悪性新生物、心臓疾患、脳血管疾患、糖尿病、高血圧性疾患等を指しており、疾病構造の変化は、これらの患者が増加していることにあります。
 予防医療の目的は、本来、健康リスクの低減や発症・重症化の抑制により、各人の心身の健康あるいは生活の質(QOL)を長期的に維持することです(注3)。これは、社会保障の負担と給付の議論には直接関係しないとはいえ、次の3つにつなげる施策として重要と考えられます。第1は労働生産性の維持・向上、第2は労働者の長期就労、第3は医療費増加率の抑制です。第1と第2は、限られた労働力の中で経済成長を維持しながら、社会保障の負担者を確保する要件の一つにもなりえます。
 次回は、具体的方法を整理して、今後の方向を展望します。

(注1)公債残高(国債と地方債の発行残高)の対GDP比は、2019年には約200%になっており、他の先進国と比べ突出しています。なお、公費は、社会福祉関係の基本財源でもあるため、財源の安定確保と財政の健全化を同時に進めることが、現代の重要課題になっています
(注2)消費税率の引き上げにより財源を確保して、主に年金と医療、介護に配分する施策として、「社会保障と税の一体改革」が進められています。これを基本に、給付費の増加と少子高齢化(労働力人口の減少)がさらに進む2040年を見据えた施策として、「全世代型社会保障改革」が唱えられています。2040年の高齢化率は35.3%、社会保障給付費は、少なくとも188.2兆円になると推計されています(内訳は、年金が73.2兆円、医療が66.7兆円、介護が25.8兆円、福祉その他が22.5兆円)。厚生労働省(2021)「全世代型社会保障改革について」https://www.mhlw.go.jp/content/12602000/000727508.pdf(2022年10月10日最終確認)。
(注3)予防医療は、健康寿命の延伸において有用とされます。これは、2000年にWHO(世界保健機関)が提唱した概念とされ、「健康上の理由により日常生活が制限されることなく、自立した生活ができる期間」を指しています。日本では、2019年における男性の健康寿命が72.68歳、平均寿命が81.41歳(8.73歳の差)であり、女性はそれぞれ75.38歳、87.45歳(12.07歳の差)になっています。健康寿命を延ばしながら、こうした年齢差を縮めることは、各人のQOLに限らず、経済・社会全体にとって有益とされます。

(執筆:安部雅仁)