社会保障の財政安定化と予防医療(下)
日本の社会保障においては、給付の範囲と方法の見直し(自己負担の調整を含む)の他に、社会保険料等の財源の安定確保が重要課題になっています。これについて、予防医療の促進と併せた検討が有用とされ、一例として前回(No. 282)は、健康経営、健康日本21、データヘルス計画を見てきました。
これらは、2010年代前半から段階的に実践されており、普及・浸透と成果の向上に向けた調査・研究が進められています。主な課題として次の3つがあげられ、第1は一次予防から二次予防までの強化にあります。健康経営、健康日本21は一次予防が基本になっていますが、一定の成果を確保して重症化の抑制につなげる上で、データヘルス計画を踏まえた対応が重要とされます。具体的には、医療保険者と医療機関の連携を強化した上で、各人の保健・医療データを早期発見・早期治療にも活用する体制が必要になります。
第2は、セルフケア(セルフメディケーションを含む)の促進です。予防医療は、主に国と地方自治体、企業(雇用主)、医療保険者により提唱されていますが、各人・患者の主体的参加が前提になります。この場合にはセルフケアが有用とされ、予防への参加意識を高める情報の提供と活用が必要になります。これは、次の第3の課題にも関係しており、特にPHR(Personal Health Record)の導入・活用を指しています。
PHRは、バイタルデータ、検査結果、治療・服薬歴等の情報が電子化された個人記録であり、狭義には患者と医師(担当医)において共有されます。利活用の機会としては、対面診療や遠隔診療に限らず、上記のセルフケア、健康管理や在宅医療があげられます。PHRは、各人・患者がこれらに長期的に参加するための情報にもなりうるとされ、医療IT(ICT)化の一つとして検討が行われています(注1)。
これらは、医療制度のあり方に関係する課題でもあります。医療制度は、主に外来・入院治療の提供体制と診療報酬、保険給付の範囲と方法により規定されますが、現代では多様な要因を踏まえた議論が必要になっています。少子高齢化の進行と労働力人口の減少、各健康リスクや疾病構造の変化に対応する施策の一つとして、予防医療を促進する方向での検討が有益と考えられます(注2)。
(注1)PHRについては、主に次の2つを参照。日本版PHRを活用した新たな健康サービス研究会(2008)「個人が健康情報を管理・活用する時代に向けて−パーソナルヘルスレコード(PHR)システムの現状と将来」http://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/
downloadfiles/phr_houkoku_honbun.pdf#search(2018年7月21日最終確認)、厚生労働省(2020)「PHR(Personal Health Record)サービスの利活用に向けた国の検討経緯について」https://www.mhlw.go.jp/content/11909500/000741661.pdf(2021年12月25日最終確認)。PHRは、各人に健康と医療の情報を提供するツールの一つとして有用ですが、これを導入する際には、個人のプライバシー保護の方法についての検討も必要になります。
(注2)日本の医療制度は、1961年以降、社会保障の中核として拡充されており、これが広く浸透する中では、短期間に制度の見直しを行うことはできないと考えられます。上記3つの課題についても、一次予防と二次予防の連携、担当医(かかりつけ医)と診療報酬のあり方、予防医療におけるIT(ICT)化の方法等の検討が必要になります。こうした課題が残されていますが、健康維持・増進(あるいは健康寿命の延伸)の重要性が高まり、また、検査機器と治療技術の高度化により、早期発見・早期治療の成果向上が期待される現代では、予防医療には大きな意義があると考えられます。これは、医療制度改革、社会保障財政に限らず、広くは経済に関係するテーマでもあり、日米の事例を参考に、機会をあらためて検討します。なお、アメリカにおける予防医療は、民間ベースでの運用・管理が基本であり、1980年代以降、民間保険団体(企業と保険団体の連携を含む)のプログラムとして広く実践されています。成果の一例として同国では、生活習慣病の中でも大腸がん、胃がんの罹患者数と死亡者数が(対人口比で見て)減少傾向にあります。これについても、日米における予防医療の具体策と動向を踏まえ、新しい資料を参考に別の機会に考察することにします。
(執筆:安部雅仁)