情報の信託 ハエ取り紙効果 丸坊主
入学したばかりの公立中学校で、生徒数の減少から近隣の学校との合併が決まった。男子生徒の一番の関心事は、校則で「男子は丸坊主頭」としていた相手の学校と合併したら全員丸坊主になるのではないかという恐れである。新聞委員だった私は多くの生徒の心配を背に、校長先生に取材を試みた。先生は「そうならない」と話され、大スクープと信じて生徒新聞に掲載した。しかし、合併後の新たな学校の校長には合併相手の校長が決まった。翌年度、私は冷たい視線を浴びながら、他の生徒とともに丸坊主になった。
昭和から平成に変わる頃、今は廃止された食糧管理制度の下で年末に生産者米価が決定される。農業団体は農林水産省を囲み、与党国会議員グループ、食管会計赤字を危惧する大蔵省や構造改革の遅れを恐れる農水省が交渉を繰り広げる。大臣や食糧庁長官などが中心に交渉し事務方は資料作りを続ける。マスコミ関係者は省内を走り回り情報を掴もうとする。騒然とした中で、政務次官であった旧知の中川昭一代議士が省内で予算作業待機中の私を呼び、「どうしたら良いのか」とそれとなく聞かれた。思わず、「先生の役目はハエ取り紙みたいなものです」と言ってしまった。事務方からの公表可能な決定や状況を話しつつ記者の方々を次官室に引き付けておく役目だと言いたかった。失礼な言い方だが交渉や事務作業の担当者は対応できないのだ。中川次官は次々に来室する各社の記者に買い込んだ寿司を振舞いつつ懇談しながら情報を伝えた。私は取材側の熱意や本音を聞き出すテクニックに感心した。
そんなことを思い出しながら、安倍元総理の国葬での菅前総理の弔辞について、テレビ局の報道局員の玉川徹氏による「電通が入っている」とした事実誤認発言が気になった。事の大小とか論点とかモラルとかの問題ではない。信頼の問題なのだ。SNSや検索サイトにはフェークニュースが溢れている。マスコミを統制下におく権威主義国家なら別だが、既往のテレビ・ラジオ・一般紙こそが正しいニュースや信頼できる情報を伝える役目が期待される。民主主義国家・社会の根幹を支える基盤ではないか。情報に溺れそうな現在、人々は情報の信託を求めている。
(執筆:元杉昭男)