日々是総合政策No.315

「勇敢な兵士」の弟の勇気

 真夏の青い空、白い雲、セミの声、そして汗を拭う手を止めて聴く玉音放送。あの終戦の日も、酷暑が続いた今年と同じように、日本の夏を象徴するような日だったに違いない。今年は終戦から80年目の節目の年である。例年以上にテレビ・ラジオ・新聞などで特集が組まれ、私たちを時代の画期の時点に導いた。
 この時期になると思い出す小説がある。大江健三郎の初期の短編「勇敢な兵士の弟」(注)である。若くして自爆した特攻隊員を兄に持ち、戦後という平和な時代に生きる弟は「勇敢な兄」というトラウマから、性的不能になる。それを案じた母は霊媒師に兄の霊を呼び出してもらう。そこで特攻機の中で恐怖に泣きながら戦死して行く兄に会う。しかも、霊媒師の創作による平和な時代に生きる弟への怨念まで聞かされる。
 勇敢な兵士の弟は「臆病な弟」である。しかし、勇敢と言われた兄も、実は弟と同じ死を恐れる平凡な人間であった。戦後の日本は、勇敢な兵士を捨てて、臆病な弟から始まった。そして、それが真実ではないのかという認識から始まった。戦前・戦中の軍国主義イデオロギーを捨て去り、焼け跡闇市からこつこつと経済を立て直した。だから、人々の日常生活の背後に現れる思想的に凝り固まったイデオロギーに対して冷ややかだった。それは左翼的思想にも右翼的思想にも対しても同じである。戦後史の一コマに思想的な政治事件があったとしても、ほとんどの日本人は冷ややかに見ていた。戦後日本の社会的精神状況の健全さと言って良いかも知れない。
 昨今、人類が到達した戦後の自由で豊かな西側民主主義体制は崩れ去ろうとしていると感じている人も多いだろう。戦前に戻したような緊迫した国際情勢、国内外にみる過激な主張の政治勢力の台頭、社会の包容力を越えた競争の激化、迫り来る剝き出しの差別社会化・・・勇敢な兵士の弟は、迷いつつも、「臆病な弟」の冷めた視線でもう一度この国を見つめる。そして、煩悶しながらも、子供達が豊かで自由で幸せな日々を送れる国を模索してゆく。こんな時代の曲り角に、「勇敢な兵士」の弟の勇気ある判断が試されている。

(注)初出は「文芸春秋」1960年1月号

(執筆:元杉昭男)

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