日々是総合政策No.65

カツ丼文化論

 先日開催された本フォーラムの設立記念集会で、「多文化共生」が本年度の研究テーマとして取り上げられ、総合政策も文化まで踏み込んでいることを知った。確かに周りに外国人が増えた。ところで、外務省の研修で人類学者から「成田空港に降り立つと頭が混乱する。」という話を聞いたことがある。一人一人の顔や体形を見て、○○系と判断する人類学者にとって日本人はそれだけ混血が進んでいるという。これは顔や体形だけでなく文化にも言えることである。
 日本は文化面でも中国や欧米の文化をその都度取り込んで和風化する “文化的混血国家”である。和風ハンバーグに和風スパゲッティ。ポルトガル発祥の天ぷらは醤油と大根おろしを加えられ、米飯に載せられて天丼になる。明治になってカツレツが登場するとカツ丼になる。食文化だけではない。表意文字の漢字から表音文字のひらがなを作り、欧米語は微妙な距離感を表示するカタカナで対応するといった和風化を行い、宗教でも神道と仏教を平気で併存させ、キリスト教徒でもない人々がクリスマスからハロウィンまで楽しんでしまう。
 これは何を意味しているのか。異物が入ってきても自分流にアレンジし位置付けて受容してしまう。免疫力のように異物を抹殺するのではなく、思考の座標が広くて何でも位置付け自分に合うようにアレンジできることである。ごみ収集などの日常生活のルールでも、良い意味で「郷入れば郷に従え」という教えで、地域社会で共生し、そのうちに日本風のやり方が導入される。どんな他文化も自己流に受容する。
 そうなら、他の国や地域の人々も○○国風や△△地域風にアレンジして他の文化を受容できないのだろうか。文化を融合させる和風化が広い思考の座標を前提しているならば、究極的にはその座標はどの文化にも共通になるのではないか。いつの間にかラーメンは味噌ラーメンに進化し和食になり、近年、和食が世界の人々から評価されている。多文化共生では“文化的混血国家”日本の流儀はガラパゴス化でなく、世界がガラパゴスになるかも知れないと淡い夢を持った。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.64

人口減少のインパクト(5):人口減少の要因

 これまで,日本の人口減少について解説を行ってきました。今後50年間で約4,000万人の人口が減少していくという,すさまじい人口減少社会に突入していくことになります。また,人口減少のインパクトは地域ごとに異なります。主として地方部では,出生数の減少と高齢化がますます進行していくのに加えて,都市部への人口流出が進むことによって,人口減少は加速していきます。一方で,都市部での人口減少は相対的に緩やかであり,総人口に占める都市部の人口割合はさらに大きくなっていきます。
 ここまで述べてきたように,人口減少には「出生」,「死亡」,「移動」の3つの要素が関わってきます。死亡に関しては,高齢化の進展によって死亡者数が増加していきますので,人口減少の大きな要因となります。しかしながら,高齢化率も上昇し続けることを考えると,高齢者の増加よりも若年者の増加が少ない,つまり,生まれる子供の数が少ないことを意味しています。高齢者の増加による死亡者数の増加と,出生数の減少が人口減少を加速させているのです。
 なお,移動に関しては,日本全体で見たときには「どこかの地域の流出は別の地域の流入」となりますので,問題ありません。もちろん,これまで見てきたとおり,地域ごとで捉えた場合には「移動」の影響を無視することはできません。また,日本全体で見たときでも,海外への流出や,逆に日本への流入もありますので,そのような移動を考慮する必要もあるでしょう。現時点では,日本全体の人口に占める海外との「純移動」(流入-流出)は非常に小さいですが,今後は拡大していくことが予想されます。
 人口減少を食い止めるためには,①高齢者の死亡数を減少させること,②出生数を増加させること,③海外からの人口流入を増加させること,の3つが考えられることがわかります。このうち①に関しては,健康寿命の延伸など様々な対策が考えられますが,人は生きている以上,いつかは必ず亡くなりますので,人口減少という側面からは根本的な対策とはならないでしょう。また③については,移民政策として議論されるものになりますが,本稿ではひとまず除外します。次回以降では,②の出生数の増加について述べていきましょう。

(執筆:中澤克佳)

日々是総合政策No.63

経済成長(続き)

 こんにちは、ふたたび池上です。前回は、絶対収束、条件付き収束のお話でした。今回は技術革新と経済成長のお話です。
 前回までの経済成長のお話は、技術革新がない場合のお話でした。その場合、すべての国の一人あたり生産量(所得)の成長率(経済成長率)は少しずつ鈍くなり、やがてゼロとなります。前々回お話した、生産関数の収穫低減の仮定により、投資すればするほど投資のリターンが小さくなり、経済成長率も鈍くなるのです。また、生産関数、貯蓄率、人口増加率が同じ国々は、同じ一人あたり資本量、生産量に収束します(条件付き収束)。最終的には途上国経済が先進国経済にキャッチアップすることが予測されます。
 しかし、現実には、先進国の経済成長率はいまだにゼロとなっていません。技術革新をこの理論(モデル)に加えると、各国の経済成長率はゼロではなく、技術進歩率に収束することになり、先進国でも経済成長を継続している現実を説明できるようになります。例えば、日本の技術進歩率が毎年2%ならば、日本の経済成長率は、経済成長につれてだんだん鈍くなりますが、ゼロではなく2%に収束します。
 この経済成長のモデルは最初に考え出したソローという人の名前から、ソロー・モデルと呼ばれ、大学の開発経済学やマクロ経済学の基礎として学ぶものです。この基本モデルの限界(不備)として、以下の2つが挙げられます。
 このモデルから、経済成長に伴い、一人あたり資本の増加、経済成長が鈍くなることが予測されます。しかし、現実のデータをチェックすると、成り立っていません。これが、このモデルの1つ目の限界です。
 また、現実のデータを分析すると、経済成長の主な源泉である、 一人あたり資本の増加と技術進歩の2つは、同じ位の値で経済成長に貢献している、つまり、経済成長にとって同じ位、重要であることがわかっています。このモデルの2つ目の限界は、それほど重要な技術進歩が、なぜ起きるのか説明できない、していないことです。
 これらの2つの限界を克服する、新たな経済成長のモデルがいくつも生み出されています。次回は、そのお話ではなく、経済成長にともなう農業の縮小など、産業構造の変化のお話の予定です。

(執筆:池上宗信)

日々是総合政策No.62

行政事業レビューとEBPM(上)

 国や地方自治体の行政サービスの評価がなされるとき、その背後にある政策の体系は、「政策」、「施策」、「事業」の3段階として捉えられます。例えば、政策として環境にやさしい社会の実現、施策として廃棄物の減量、事業としてリサイクルの推進というように、段階を経るごとに具体的なものになります。
 国レベルに関しては、民主党政権下において、2009年から「事業仕分け」が開催され、行政機関外部の者により、各府省庁の事業が評価されました。その後、自民党政権下では、事業評価の取組にいろいろな変更が加えられ、「行政事業レビュー」というかたちで毎年度実施されています。
 事業の評価にあたっては、評価対象事業が、必要とされかつ公共部門によって実施されることが妥当であることを明確にした上で、事業の実施における有効性、効率性、緊急性などの観点も考慮されます。さらに、そのような検討において、質的情報だけではなく、関連する定量的目標も適宜利用されてきました。しかし、近年、国が推進する「証拠に基づく政策立案(Evidence-based Policy Making, EBPM)」の取組の一つとして、行政事業レビューが位置づけられるようになり、行政事業レビューの実施においても改善が試みられています。
 EBPMでは、政策決定の際、統計学の手法を用いて、政策実施を原因とし、政策効果を結果とする因果関係が示されることが必要とされて、両者の因果関係が示されることによって、政策が評価されます。EBPMの考え方に基づくと、ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial, RCT)と呼ばれる手法が理想とされますが、行政事業レビューのように、各府省庁のすべての事業を評価対象とする取組においては、EBPMの要素を取り入れることにおいて、限界もあることは認識すべきだと思います。現状においては、すべての事業評価において、「ロジックモデル」が導入されています。ロジックモデルは、統計学の手法は用いられていませんが、政策実施から政策効果へ至るフロー図によって因果関係を明示し、あわせて事業の成果に関するデータも示すものです。
 次回では、筆者の行政事業レビュー外部有識者委員の経験を踏まえて、いくつかの点についてコメントします。

(執筆:飯島大邦)

日々是総合政策No.61

日本的論理を疑う(2)

 デフレとは、英語の本では「持続的な物価の下落」と書いてある。つまり、ある程度の期間にわたって物価が下がっていく状態のことであるから、短期または一度限りの下落であれば、デフレとは言わない。
 一方、日本では、デフレとは「物価の下落による景気の悪化」という意味合いで定義されてきた。したがって、物価が下落しても景気が悪化しなければデフレではないし、物価の変動とは無関係に景気が悪化するならばこれもデフレとは言わない。
 日本の歴代内閣は、「デフレからの脱却」を掲げてきたが、ここには「デフレ=悪い状態」という認識がある。したがって、物価が下がり続けて消費者の購買力が高まることになってもデフレとは言わない。つまり、「持続的な物価の下落」が消費者に好ましい結果をもたらすような「良い状態」はデフレでない。また、「デフレ=物価の下落による景気の悪化」とすれば、「景気の悪化による物価の下落」もデフレとは関係ないことになる。
 このように、「持続的な物価の下落=原因、景気の悪化=結果」の場合だけ、日本ではデフレと呼ばれてきたのである。原因と結果が逆の場合、あるいは原因が同じでも結果が異なる場合(つまり景気が悪化していない)は、デフレとは呼ばれないのである。
 その一方で、消費者物価(皆さんが普段購入する商品・サービスの価格の総合指数)の動きを見て、日本では15年もデフレが続いたと発言する人が多い。しかし、実際には、物価が下がった時期が多かったとしても、15年にわたって物価がずっと下落し続けたという事実は存在しない。ただし、GDPデフレーターと呼ばれる国内総生産(GDP)に関わる物価については、15年にわたって下落したという事実はある。
 デフレのように、日本では、原因と結果を含めて定義することが多い。この定義の仕方が厄介なのは、「原因=客観的事実、結果=主観的判断」であることだ。歴代内閣が「デフレ脱却宣言」を躊躇する背景には、日本だけでしか通用しないこうした特殊な定義が関係している。

(執筆:谷口洋志)

日々是総合政策No.60

人口減少時代の中で起きている都心への人口集中

 平成27年国勢調査の人口等基本集計結果によると、2010年から2015年の5年間に人口が増加したのは8都県で、残り39道府県では人口が減少している。この5年間で日本の人口は96万2千人減少(2010年から0.8%減)しているので、人口が増加しているということは、転居による社会増が大きく影響している。人口増加が最も多いのは東京都で、35万6千人(2010年から2.7%増)の増加、そのうち23区は32万7千人の増加で、東京都の人口増加はそのほとんどが都心部分である23区内で発生している。
 東京都への人口集中の内容について、2010年から2015年の5年間のうちに住所が変わった者の割合で見てみると全国計に比べて東京都は15%ほど高く、23区だけで見ると20%ほど高い。これで分かるのが、人口減少が続く地方は、定住率が高く、人口の流動性が低いことである。生活の豊かさを求めて転居が出来る人口の流動性の高さが社会の豊かさを示す時代になっているのではないだろうか。
 社会の未来が見えない中、自己責任を求められた市民は、自らの生活を守るという観点から居住地を選択した結果、東京への人口集中は続く一方で、地方の急速な人口減少を引き起こしている。今、世界で問題となっている「分断社会」の問題は、発展により社会が広域化するなかで、その流れの速さについて行けない人々が多数発生していることを表している。流れについて行けない人々は、急激な変化を嫌う安定志向を強め、自己中心的な発想が様々な軋轢を生み、社会における相互作用の糸が切れ始め、社会の活力の低下に繋がっている。
 人口減少時代という、社会における新たな局面を迎えた日本においては、地方の急速な衰退が予測され、社会は地方と都会が分断されていって、これまでのような全体の繁栄が社会の隅々まで行き渡ることは難しくなる。将来像をしかり描いて、持続可能な社会をいかに造っていくのかという舵取りが出来る社会、ガバナンスが機能する社会を、いかに構築していくのかが政治の責任として問われているのである。

(執筆:金子邦博)

日々是総合政策No.59

県民経済計算の充実を

 県民経済計算とは全国レベルGDP統計(国民経済計算)の都道府県版です.内閣府は,それを「経済分析はもとより,県の行政・財政、経済に関する政策決定や,政策効果の測定など様々な分野で利用されている重要な統計情報の一つ」と位置づけています.実際,地域経済を分析する場合は県民経済計算を利用するしかありません(注1).
 しかし,その作成方法を知ると,県民経済計算をどれくらい信頼して良いのか不安になります.というのも,このように重要な統計と位置づけているにもかかわらず,その算定はそれぞれの都道府県が別々に行っており,国は単に都道府県が算定した数値をまとめているに過ぎません.そして,数値の作成には国が示す統一的なガイドラインが有るにしても,細かいところを見ると,実際の作成方法は都道府県でいろいろと異なっています.
 この問題は,近年,沖縄県の県民所得を巡って不必要な混乱を招きました.2012年度の県民経済計算によると,沖縄県の1人当たり県民所得は203.5万円で全都道府県最下位(47位)でした.しかし,高知県(同45位)の方式で計算し直すと,沖縄県の同値は全国28位の266.5万円へと増加したのです(注2).また良く知られていることですが,県民経済計算にある各都道府県のGDPを足し合わせても,国民経済計算にある日本のGDPと一致しません.つまり,国民経済計算との最低限の一貫性も保たれていません.しばしば「中国の省単位のGDPを合計すると中国全体のGDPを上回る」とマスコミが中国の統計体制を揶揄することがありますが,それと同様のことが日本でも起こっているのです.つまり,嘆かわしいことに「県民経済計算」は先進国の地域統計の体をなしていないのです.
 少子高齢化の高進,人口・労働人口の大幅減少のなか,今後,地域経済は大きく変動すると考えられます.そのような事態を系統的に捉えることができる唯一の統計が県民経済計算です.そうであるにもかかわらず,これらの県民経済計算の問題に関しては何の議論も対応も行われていないようです.国は都道府県が推計をバラバラに行っている現状を放置している現状を改め,早急に率先して県民経済計算の作成体制を整備し,地域統計の質の向上に尽力すべきです.

(執筆:林正義)

(注1)内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部「県民経済計算標準方式(平成 23 年基準版)」平成31年8月30日閲覧https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/hyojunb23.pdf
(注2)産経新聞 「沖縄県の県民所得,低く計算.計算方式変更で最下位維持『基地問題が経済的足かせになっていることを示したいのでは』」産経ニュース.2017.1.5 07:37.平成31年8月30日閲覧https://www.sankei.com/politics/news/170105/plt1701050006-n1.html

日々是総合政策No.58

位置づけ・意味づけ・秩序づけ

 前回(No.45)述べたように、ある社会の政策決定は、時間を越えて、その社会の将来世代に色々な影響を及ぼします。例えば、1937年7月の盧溝橋事件に始まる日中戦争や1941年12月の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争(大東亜戦争)について、当時の日本政府が下した政策決定は、日中戦争や太平洋戦争に全く関与していない戦後生まれの日本国籍の人々にも負の遺産をもたらしています。
 これは、前回考察した地球温暖化対策が有する外部性と同じく、将来世代への政策の外部性の一事例で、「政策の通時的外部性」といえるものです。
 政策を総合的に研究するとき重要になるのは、時間軸と空間軸から構成される時空の中で、社会や文化や歴史や社会問題や政策や人間を、どのように位置づけ・意味づけ・秩序づけるかです。いまの日本で日本国籍をもつ一人の人間として、各日本人が日中戦争や太平洋戦争という歴史的事柄をどのように位置づけ・意味づけ・秩序づけるかで、いまの日本を「より良い社会」に変えようとする人間の営みも違ってきます。すべての日本人が、これらの戦争について十分な情報をもっているわけではありません。追加的な情報を獲得することの便益と費用を比較考量して費用の方が便益よりも大きければ、それ以上の情報を獲得せず情報欠如になります。この状態は、政治過程を経済学的に分析する公共選択論では「合理的無知(rational ignorance)」といわれています。
 合理的無知の状況にある人々に、日本国内外の歴史専門家や政府や学校やメディアなどが日中戦争や太平洋戦争の情報を提供しています。しかし、その情報は情報提供する主体の独自の窓から取捨選択された情報になります。そうした情報を基に、各人は日中戦争や太平洋戦争を位置づけ・意味づけ・秩序づけます。戦争だけでなく考察の対象にする事柄に関する、位置づけ・意味づけ・秩序づけとは、次の通り定義できます。
 位置づけとは、その事柄を類型化した範疇の中で特定化しその位置関係を同定することである。意味づけとは、その事柄に特定の視座から物語としての意味を与えることである。秩序づけとは、その事柄の位置づけと意味づけに基づき、その事柄について取り組むべき活動の優先順位を決めることである。

(執筆:横山彰)

(注)本随筆は、横山彰(2009)「総合政策の新たな地平」中央大学総合政策学部編『新たな「政策と文化の融合」:総合政策の挑戦』6頁(中央大学出版部)の一部について加筆修正を加えたものである。

設立記念研究集会 開催のご報告

当フォーラムの設立記念研究集会を下記の通り開催いたしました。

日時:2019年8月31日(土) 13:30~(13:15 開場)
会場:中央大学 駿河台記念館6階610号室【アクセス

プログラム:
13:30-13:35 開会の辞

13:35-14:20 基調講演 「地域社会を支える総合政策」
        講演者:横山彰(代表理事・中央大学名誉教授)
        【資料

14:20-15:20 研究プロジェクト企画の概要発表・討論
「ケニア北部・エチオピア南部におけるインデックス型家畜保険の需要と貧困動学、需要増加のための経済実験」
 池上宗信(理事・法政大学教授)
「途上国における電力価格政策の集積分析」
 後藤大策(理事・広島大学准教授)
「米中日とアジア途上国・地域の経済関係」
 谷口洋志(理事・中央大学副学長)
「人口動態の変化と地方政府の持続可能性」
 中澤克佳(理事・東洋大学教授)
「民主主義デザインと公共選択:こども・若者の政治参画・社会参画」
 矢尾板俊平(理事・淑徳大学教授)
「多文化共生社会の総合政策研究」
 横山 彰(代表理事・中央大学名誉教授)
 山内 勇人(研究員・中央大学政策文化総合研究所客員研究員))
 分科会1「多文化共生の多中心的連携活動」
 分科会2「多文化共生の人文学的基礎」

15:30-16:45 パネル・ディスカッション
テーマ:「コンパクトシティと自治体連携」
コーディネーター:矢尾板 俊平(理事・淑徳大学教授)
パネリスト(五十音順)
 磯道 真 氏(日経グローカル編集長)
 後藤 大策氏(理事・広島大学准教授)
 田中 聖也氏(総務省自治行政局市町村課長)
 山田 正人氏(東京大学公共政策大学院客員教授、元横浜市副市長)

16:45-16:50 閉会の辞

※詳細は、PDFファイルをご覧ください。

日々是総合政策No.57

反知性主義VS.大学教育?

 批判的知の軽視、感情による物事の判断、ある現象を理解する際に多様性の一切を捨象し単純化することなどを特徴とする、「知的な生き方」の軽視あるいは敵視は、反知性主義と呼ばれている。そして、このような知識への認識・態度は、批判的に物事を考える力や、論理や根拠に基づいて判断する能力、物事の多様な側面を理解する能力を育もうとする大学教育の側には脅威となっており、大学教育側、特に人文系の学問領域においては批判的に言及されることが多い。
 確かに現代日本社会における外交関係や「ひきこもり」「格差」といった問題をめぐって飛び交う感情的で断定口調の言説を見るならば、大学教育側から反知性主義へと向けられる批判の重要性は否定できない。だが、特に「感情」を巡っては、反知性主義VS.大学教育という枠組みの安易な採用には慎重になる必要があると考える。
 この二項対立的図式の限界は、そもそも境界線が流動的で曖昧なことを把握できないことにある。より正確にいえば、「感情」が時に学問の礎になることを見落としてしまう点にある。たとえば、フェミニズムの黎明期に議論を支えたのは、社会に対する「不満」であった。同様のことがポストコロニアル理論にも言える。20世紀に入り植民地の多くは独立したが、旧植民地に対する旧宗主国の文化的・政治的な影響は残り続けた。旧宗主国と旧植民地の間で揺れる/揺さぶられる人々(たとえば旧植民地出身の「イギリス人」)の「居場所の無さ」や「不満」は、ポストコロニアル理論を生み出す原動力ともなった。これらが意味しているのは、(全てではないにせよ)大学教育には、「感情」を最終審級ではなく問いの起点に昇華し、これまで顧みられることの無かった個々人の「不満」や「不安」を、他の人々に理解されうる概念や論理に翻訳する方法が備わっている、ということである。
 もちろん、反知性主義を消し去ることはできないだろう。だが、「大学教育」には反知性主義を前に、それらをやみくもに拒否・否定したり、逆に諦念に陥ったりすることとは異なる道もある。その道は、反知性主義VS.大学教育という図式に挑戦する道でもある。

(執筆:山内勇人)