日々是総合政策 No.41

累進所得税(2)

 前回(No.27)で述べましたように、累進所得税は課税前の所得格差に比べて
 課税後の所得格差を縮小します。所得格差が著しいケースでは、累進所得税のこの機能は有意義でしょう。
 今回は、所得に関する逆進性をとりあげます。逆進的負担は累進的負担の逆です。つまり、所得に占める税負担の割合(平均税率)が高所得ほど低くなるのを逆進的負担と言います。
 逆進的負担の典型例としてあげられるのが消費税です。いま、10%の単一税率を仮定します。高所得者の所得をYh,その消費をCh,低所得者の所得をYL,その消費をCLとします。このとき、二人が負担する消費税額ThとTLは、0.1Chと0.1CLと表せます。通常、Th= 0.1Ch>0.1CL=TLとなり、高所得者の税負担の方が多額になります。高所得者の方が高価な消費を行うからです。しかし、Yに占める税負担の割合は高所得者の方が低くなります。つまり、
 0.1Ch/Yh<0.1CL/YL となり、この式を指して、消費税の逆進的負担と呼びます。税率10%は二人にとって共通ですから、逆進的になる原因は、Ch/Yh<CL/YL に求められます。
 この種の議論では多くの場合、Yを年間所得と想定しています。この点が重要です。よって、上の不等式の意味は、高所得者の年間所得に占める年間消費の割合が、低所得者のそれより低いということです。消費には食料・衣料など、所得の高低に関わらず必要な基礎消費があるため、年間所得に占める消費の割合は低所得者ほど高く、高所得者ほど低くなります。
 言い換えれば、高所得者ほど年間所得に占める貯蓄の割合を高くできる点が、消費税の逆進性の原因です。消費税負担から逃れる方法は消費しないことです。貯蓄は所得のうち金融機関などに振り向けられる部分なので、消費税負担を逃れます。
 しかし、貯蓄の目的が将来の消費に対する備えにあるならば、高所得者の貯蓄による消費税逃れは、一時的になります。将来時点で貯蓄をとり崩し、消費を行うからです。消費は一生涯続くのです。

(執筆:馬場 義久)

日々是総合政策 No.40

民主主義のソーシャルデザイン:「#みんなで投票に行こうよ」

 最近では、投票所で「投票済証明書」をもらう方も増えてきました。私もその一人です。SNS(twitter、facebook、Instagramなど)で、投票日当日、投票に行かれた方は、ぜひ、投票済証明書の写真をアップして、「#みんなで投票に行こうよ」とつぶやいてみませんか? みんなが投票に行ったのであれば、自分も行こうとか、行かなきゃとか思う方が少しでも増えて、投票率が高くなればいいなぁと思います。
 こうした「仕掛け」も「ソーシャルデザイン」のひとつです。ゆうこすさん(菅本裕子さん)の「共感SNS」ではないですが、共感が広がっていく仕組みづくりが、特に若年世代の投票率を高めるためにも有効なのではないかと考えています。
 また投票率を高めるための仕掛けとして、「選挙割」というアイディアもあります。これは地元の商店や商店街に協力してもらい、投票に行った人が「投票済証明書」を提示すると、何かサービスをしてもらえる、というアイディアです。投票に行ったら、割引を受けられたり、サービスをしてもらえたりする、だから、「#みんなで投票に行こうよ」、となると、投票率が高まるかもしれません。
 さて、今回の参議院選挙において、「ちばでも」プロジェクトでは、学生の皆さんが自分たちの意見をまとめて、自分たちなりのマニフェストを作成しました。マニフェストの「Manifesto from Yong Voters~若者たちの選択 若者からの10の提言~」です。若い人たちに意見を聴くと、この提言に共感してくれる人も多いです。
 これを、千葉選挙区から立候補している6名の候補者の方にお送りし、自分たちが考えた10の提言に「賛成か反対か」と尋ねました。もっとも答えにくい提言(質問)は、「若者のための政策を実現するために、財源の世代間「見直し」を実施」というものだと思います。
 この提言に対し、どのような回答を頂けるか、楽しみです。ちなみに、もし、回答が無い場合も、それは一つの回答だと思っています。ほとんどの候補者の方は、何らかのSNSをお使いになられています。確かに、選挙期間中の忙しい時期ではありますが、一般の有権者、特に若年世代の有権者の声をどこまで聞いてくれようとするのか、その姿勢を確かめることができると思っています。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策 No.39

人口減少のインパクト(4):地域別の人口減少(3)

 前回のコラムでは、引き続き地域別の人口減少について述べていきました。人口減少は特に地方部において激しく、同時に高齢化の進展が激しくなっていきます。2045年段階での高齢化率が最も大きい都道府県は秋田県で50.1%になります。つまり、県民の約半分が高齢者となるのが30年後の秋田県ということになります。
 高齢化の進展が激しいのは秋田県にとどまりません。2045年の高齢化率(全国)の予測は36.8%と非常に高いのですが、地域別に見ると上で述べた秋田県の50.1%を筆頭に、青森県(46.8%)、福島県(44.2%)、岩手県(43.2%)と東北の県が続いていきます。東北の県で一番高齢化率が低いのは宮城県ですが、それでも40.3%と全国平均より高い数値となっており、40%を超えています。
 高齢者が増加していくことは、社会保障費用の増加や社会インフラの維持、地方財政の持続可能性など多岐にわたる影響を与えます。しかしながら、現在の(そして2045年の)高齢者は、本当に「高齢者」でしょうか。1977年生まれの筆者の子ども時代は、高齢者は「おじいさん」、「おばあさん」といった印象の方が多かったように感じます。しかし現在は、65歳を過ぎても元気で若々しい方が多いと感じます。長寿命化と健康寿命の延伸を受けて、高齢者を単純に捉えきることはできなくなりつつあります。内閣府(2019)『令和元年版高齢社会白書』によれば、日常生活に制限のない期間である健康寿命は、2016年時点で男性72.14歳,女性74.79年となっています。また、要介護認定を受けている人々の割合は、65歳から74歳の前期高齢者で2.9%、75歳以上の後期高齢者で23.3%と大きく異なっています。
 75歳以上の後期高齢者比率は、2045年の全国平均値が31.9%と予測されています。後期高齢者率は高齢化率と概ね連動しますので、後期高齢者率が高いのも東北各県になります。最も高いのは秋田県の31.9%、続いて青森県(29.1%)、福島県(27.4%)と続きます。実に11県が後期高齢者率25%、つまり人口の4分の1が後期高齢者という社会を迎えます。

(執筆:中澤克佳)

日々是総合政策 No.38

広がる低学齢期の教育格差

 日本において、教育の利用や選択をめぐる機会均等を論じる際、その経済的な下支えである家計の教育費、具体的には税金で賄われない学校外教育費に注目し、その家計毎の支出実態を検証することが重要です。なぜならば、小学校から大学に至るまでの教育費に占める私費負担の割合は、2015年でOECD平均が16%に対し日本は28%と、私費への依存度が高いからです(Education at a Glance 2018(OECD))。日本では、憲法第26条に規定されている「教育を受ける権利」を確保するため、義務教育は無償で提供されています。ただし、塾や習い事、家庭教師や予備校といった有償の学校外教育が、学校教育と並行して実施されるのが常となっているため、教育の私費負担が増し、家計の経済状況の差が教育機会の格差に結びつきやすいと考えられます。
 筆者は、Kakwani (1977) で提唱された所得や支出の格差を検証する代表的指標の1つである「カクワニ係数」を改良した「修正カクワニ係数」をもとに、学校外教育費の典型である補習教育(塾、予備校、家庭教師代等)について、家計毎の支出格差がどれくらいあるかを、「家計調査年報」(総務省統計局)のデータを用いて、実証分析してみました。修正カクワニ係数とは、調べたい消費額(ここでは補習教育)の家計間の偏り(補習教育集中度係数)と、全ての消費額の世帯間の偏り(全消費集中度係数)の差を調べ、その差が大きければ、全消費額の偏りに比べて調べたい消費額の家計間の偏りが大きい、すなわち家計間の支出格差が大きいと判断するものです。分析の結果、補習教育全体の修正カクワニ係数は、2000年以降上昇トレンドにあって、その傾向は、幼・小学校段階の補習教育において顕著であることが確かめられました。
 高校生への授業料補助や大学生向けの給付型奨学金の拡充など、近年、教育への新たな税金投入の動きは始まっていますが、その中心は依然として学校教育費で、家計の経済状況に左右される学校外教育費は含まれていません。修正カクワニ係数を用いた実証分析は、家計の経済状況によって、教育の機会均等が阻まれていないかを注視しつつ、低所得家計の幼・小学校段階の学校外教育費(塾代や家庭教師代等)に税金を投入することの是非について、議論が必要であることを示唆するものと考えます。

(参考文献)

Kakwani,N.C. (1977), “Measurement of Tax Progressivity : An International Comparison,” Economic Journal, vol.87, pp.71-80.

(執筆:田中宏樹)

日々是総合政策 No.37

経済成長(続き)

 こんにちは、ふたたび池上です。前回は、経済成長における消費と投資のトレード・オフのお話でした。今回は、前回に問いかけたままで、答えが書かれていなかった、やたらに人口を増やしてはいけないのではというお話です。
 確かに、労働を増やすと一国全体の生産量、所得は増大します。だからといって、やたらに労働、人口を増やしてはいけません。なぜでしょうか?答えは、2つの暗黙の仮定によります。1つ目の仮定は、国民の幸せを決めるのは、一人あたりの消費であって、一国全体の消費ではないという仮定です。2つ目の仮定は、生産関数が収穫逓減であるという仮定です。
 生産関数が収穫逓減とは何かですが、労働を増やせば増やすほど、追加的な1単位の労働(たとえば、1人が1日働くという労働)からえられる生産(収穫)の増加量が小さくなるという仮定です。たとえば、ある途上国のある小さな家具工場で社長自らが毎日一つのベッド・フレームを作っていたとします。マットレスの下の部分は金属、4つの足と、頭の上の部分はおしゃれなデザインに加工された木できたベッド・フレームを、社長がすべて一人で製作している場面を想像してみてください。ここで、職人を1人、2人、と増やしたとしても、一日あたりのベッド・フレームが2つ、3つと増えずに、職人を増やせば増やすほど、少しづつ、追加の職人1人によるベッド・フレームの増加量が小さくなるという仮定です。職人間で製造工程を分業化することによる生産の効率化よりも、場所や工具・機械の制約があり、混雑による生産の非効率化の方が大きい場合などは、この仮定は成立しそうです。
 この収穫逓減の仮定が満たされる場合、やたら労働、人口を増やすと、1国全体の生産量は増加しても、1人あたりの生産量、所得は減少してしまいます。そして、1人あたりの所得が減ると、1人あたりの消費が減り、1つ目の仮定より、国民1人1人ひとりの幸せは減少してしまいます。
 今までは、生産関数が変化しないこと、変化するのは資本・労働という投入と生産という産出だけということを暗黙に仮定していました。次回は、この仮定を外し、技術革新が起き、生産関数が変化する場合の、経済成長のお話です。

(執筆:池上宗信)

日々是総合政策 No.36

スポーツと地方創生~平成の日本サッカーの変化を振り返る(下)Jリーグ編

 Jリーグは、平成5年5月15日に今もオリジナル10と称される10クラブでスタートした。
 その多くは東京圏関西圏等の人口集積地に所在し、かつ大企業の支援を得ていた。それが1998年のJ2創設及び2014年のJ3創設を経て、今年のシーズンでは全国にJ1・18、J2・22、J3・15(u-23を除く)の計55クラブがある。多くは地方都市がホームタウンだ。将来のJリーグ入会を公認された「Jリーグ百年構想クラブ」のある県も含めると47都道府県中40県にJクラブがあり、残りの7県にも何らかの形でJリーグを目指すクラブがある。「野球と違ってサッカーは日本人には合わない」という人すらいた時代を知る私にとって、日本全国の地方都市にもプロのサッカーチームがあって、地域のサポーターの熱心な応援を受けながらエキサイティングなゲームを毎週展開しているなんて、まるでかつて憧れていたヨーロッパのようではないか。そんな風景が今日展開しているなんて、信じられない思いである。このJリーグクラブの全国への広がりは「スポーツ・ツーリズム」といった、新たな地方創生の芽も育てつつある。Jリーグは平成の間にここまで成長した。その成長には、Jリーグ創設時からの関係者のヨーロッパを見習った、徹底した地域密着の考え方があった。今やバスケットボールのBリーグのチームも全国にできた。プロ野球のチームもその名称に地域名を入れ、地域密着を模索する時代だとなった。なお、このJリーグの発展には地域の自治体が関わってきていることも認識しておかなくてはならない。Jクラブのホームスタジアムの多くは、2002年のW杯等を契機に各地の自治体が整備したものだ。その時に整備されたスタジアムが、現在各地のJリーグチームのホームスタジアムとして活用されている。Jクラブの設立に自治体が関わったところも多い。プロスポーツの地域経済に与える影響についてはヨーロッパや、アメフト等のプロスポーツが充実しているアメリカ同様、日本でももっともっと議論されてもいいのではないかと考える。

参考文献

「百年構想のある風景(傍士銑太、2014,ベースボールマガジン社)
「平成日本サッカー」秘史(小倉純二,2019、講談社α新書)

(執筆:平嶋彰英)

スポーツと地方創生~平成の日本サッカーの変化を振り返る(上)

日々是総合政策 No.35

すべてを疑え

 19世紀プロイセン(現在のドイツ)の思想家・革命家カール・マルクスは、「すべてを疑え」という言葉をモットーとしていた。ただし、「すべてを疑う」ことには、自分の主張も含まれるので注意が必要だ。
 一方、「自明の理」という言い方がある。証明も説明もいらない、当然のことだ、というわけである。しかし、「当然のこと」は、どのようにして証明されるのだろうか。当然であることが、証明されなければわからないとすれば、それは「自明」ではない。したがって、「自明の理」も「すべてを疑え」の対象となる。
 ところで、「すべてを疑う」ことには、「確かめてみよう」という謙虚な姿勢が感じられ、「自明の理」には説明するまでもないという傲慢さが感じられる。だから、私は、「自明の理」派よりも「すべてを疑え」派に組したいと思う。
 このような回りくどいことを書いたのは、最近の米中貿易戦争において米国トランプ政権の主張には「自明の理」が含まれているように見えながら、実際にはそうではないことを知ったからである。例をあげてみよう。
 米国は中国に対して巨額の貿易赤字を作っている。その対中貿易赤字を米国のGDP(国内総生産)で割ると、2000年の0.8%から2010年の1.8%、2018年の2.0%へと、最近はその数値が上がっている(米国商務省経済分析局の国際貿易データによる)。だから、トランプ政権が対中貿易を問題にするのは「自明の理」というわけだ。
 しかし、中国側では何が起きているだろうか。中国が米国に対して作っている貿易黒字も巨額であることは「自明」であるが、自明でないのは、この対米貿易黒字を中国のGDPで割った数値の動きである。実は、中国側では、対米貿易黒字のGDPに対する数値は、2006年の5.2%から2010年の3.0%、2018年の2.4%へと大きく下がったのである(中国国家統計局と中国海関総署のデータによる)。米国側には自明でも、中国側には自明でないのだ。

(執筆:谷口洋志)

日々是総合政策 No.34

金融規制の緩和と強化

 虚偽な財務報告をしていたなどと企業経営者が頭をさげている姿が、ときどき報道されています。金融自由化、規制緩和は市場の効率を高め生活を豊かにしてくれるはずですが、不誠実な企業行動は私たちを不安に陥れてしまいます。
 そこで、一口に規制と言っても、何を緩和するのか、あるいはその逆に何を強化しなければならないのかを、考えざるを得ないことになります。実は、金融規制には、経済規制、プルーデンス規制、情報規制の3つの型があります。このうち、経済規制とは、金利規制、業務分野規制、国内・外国企業の参入規制などのことです。プルーデンス規制とは、銀行法、自己資本比率、格付け、情報開示のように金融システムの安全性および健全性を保ち、貯蓄者、投資者を保護する規制のことです。情報規制とは、銀行、保険会社、証券会社それぞれが取引きする金融商品の価格と数量を会計基準に従って報告する義務を負わせる金融インフラのことです。
 日本を含め東アジア諸国は、欧米諸国に比べて、経済規制が厳しい反面、プルーデンス規制と情報規制が弱いと言われてきました。しかし、日本の場合、1980年代半ば以降、政府開発金融機関の縮小などあらゆる種類の金融機関の民営化を実施し、市場メカニズムに基づく金利や株価決定を重視するようになっています。また、外銀(外資系投資銀行)や外国証券会社の参入、非居住者の預金および証券投資規制を緩和しています。その反面、金融機関間の競争激化とグローバル化の進展に応じて、バーゼル合意(国際業務に従事する銀行の監督を目的として、主要国の金融監督当局と中央銀行によって構成されている「バーゼル銀行監督委員会」が定め、公表している自己資本に関する国際統一基準)の実施、時価会計の採用、大口融資規制などのプルーデンス規制やその基盤となる会計基準を強化しています。                 
 さらに、クラウドファンディングなどの新しい金融そして新しい仲介業者や運営業者が誕生するのにつれて、市場を活性化する規制緩和を実施すると共に、個人投資者を保護する規制強化が新たに試みられるようになっています。しかし、今後も、規制緩和と強化の組み合せが、絶え間のない課題になりそうです。

(執筆:岸 真清)

日々是総合政策 No.33

サーベル行政

  昭和40年代に農林水産省は毎年政府が買入れるコメの価格決定に苦労していた。政治家は農家のために毎年価格の引上げを求めるし、そうするとコメは増産され余り、会社勤めの裕福な小規模な農家(兼業農家)が増えて効率的な大規模な経営農家(専業農家)が育たない。そこで、若い政治家の方々に米価引上げから劣悪だった農村の生活環境の改善に興味を向けてもらう意味もあって、市町村に対し生活環境整備に補助金を出すことになった。
 といっても、都市に比べて遅れた生活環境整備だけが問題でなかった。農地の区画整理をやって農業機械を使えるようになっても自宅の周りの道路(集落道)が整備されていない。家庭から汚水が農業用水路に流れ出す。農林水産省は効率的で生産力の高い農業の実現のため、こうした問題を解決したかったのである。
 補助金の制度では、予算額の制約の他に、様々な思惑と財務省などから認められ易い目的や補助金の対象などを決めたルール(要綱や要領)に従い適正に効率的に使わなければ、会計検査院から国会へ報告されてしまう。様々な入り組んだ制約が霞が関の30歳前の係長である私に降りかかる。政治家や市町村長さんから要望(陳情という)が来る。例えば、草野球広場の夜間照明の整備の要望で、当時の状況を踏まえ「都会でも夜間照明のある野球場なんて少ない」と断ったら、「娯楽も少ない農村で農家に昼に遊べと言うのか」と言われて閉口した。
 当時の課長の口癖は、戦後廃止された内務省(地方行財政・警察・土木・衛生などを担当)の強圧的な行政への批判で、「サーベル(刀)で脅しながらやるようなサーベル行政をやってはいけない」だった。そのため各地からの要望を聞くこととなり、益々迷うことになる。見かねた別の課長から、「迷うときは農林水産省も要綱も何もかも忘れて一人の人間として決断しなさい。決心したら君の全英知を動員して理由を付けてやりなさい。」と言われた。そうした決断なら誰もケチを付けられないし信念も揺らがない。
 補助金批判は多いが、地方との真剣な会話と苦労は中央省庁の役人として的確な政策を行うときに後々大いに役立った。一方で大学の若き先生方と高尚な議論をしながら、「じっと手を見る」といった日々だった。補助金の具体的な苦労話は、次回以降にしよう。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策 No.32

緑の人と青い人

 いまから20年以上前に日本で初めて誕生した「総合政策研究科」という大学院の講義で、「緑の人と青い人」というレポート課題を出したことがあります。その後、学部の講義や関西で設置された学部を持たない総合政策系大学院の講義などでも同じ課題を出して、総合政策の醍醐味を私なりに受講生に伝えてきました。その課題は、次の通りです。

「ある社会で緑の人が右に進もうと言い青い人は左に進もうと言ったところ、その社会は緑の人の言うことに従い右の進路をとった。こうした現象が生起する状況を列挙し、その政策的含意を考察しなさい。」

 社会人院生も含む当時の受講生の皆さんのレポート内容は、極めて多彩で色々な考察が加えられ、大変に示唆に富んだものでした。中高生はじめ若い読者の皆さんには、まずもって、ご自身で少し考えてみていただきたいと思います。
 こうした現象が起こるのは、(1)その社会の構成員のほとんどが緑の人であったから、(2)緑の人が法的権限を持った代表者であったから、(3)その社会の支配的な宗教の最高責任者が緑の人であったから、(4)その社会の審美眼からして緑の人が美しい人だったから、(5)緑の人が科学的根拠を示したから、(6)過去の言動からして社会的信頼は緑の人の方が高かったから、(7)緑の人が言う右の進路の方が得をする人数が多かった(1人1票の結果)から、(8)緑の人が言う右の進路の方が社会全体の純便益が大きかった(1円1票の結果)から、(9)左より右の進路の方が歩きやすそうだったから、(10)緑の人の演説の方が良かったから、などなど(そうした諸要因の重なりも含め)色々な説明が考えられるでしょう。
 一度限りの科学的根拠からすれば青い人の言説の方が正しかったとしても、過去の言動からして青い人が「狼少年」だった場合には、その科学的根拠だけでは社会の進路は決まらないかもしれません。また、青い人の言うことが本当に正しくても、青い人の言うことだけは絶対に受け入れたくない、といった感情が政策決定を左右する場合もありえます。
これらの点から、「政策は人なり」の側面も考える必要があるのです。

(執筆:横山彰)