日々是総合政策No.134

通勤から見る東京一極集中の変化

 新型コロナウィルスが国内外で猛威を振るっています。一部企業は通勤等による感染拡大を防ぐため、テレワークを始めています。首都圏鉄道各社の利用者は学校の臨時休校や訪日観光客の減少も含めると、3月上旬で1~2割程度低下したそうです(『日本経済新聞』(2020年3月10日))。
 元来、首都圏の通勤実態はどのようになっているのでしょうか。2015年『国勢調査』(総務省)によると、東京都での従業者は約800.6万人です。このうち、埼玉県から約83.5万人、千葉県から約65.5万人、神奈川県から約94.2万人が東京都へ通勤しています。3県からの通勤者合計(約243.2万人)は東京都での従業者のうち約3割を占めます。2010年では3県からの通勤者が約243.8万人であり、15年までの増減率は-0.3%にとどまりました。
 ところが、2015年までの5年間では、これら3県で異なる通勤の傾向がみられます。埼玉県からの通勤者は約6,000人、千葉県からの通勤者は約2万人減少しています。その一方で、神奈川県からの通勤者は約2万人増加しました。神奈川県の市町村別に東京都への通勤動向を見ると、川崎市からの通勤者が2.2万人ほど増加(増加率:約9%)していたのです。この背景には、鉄道による都心へのアクセス向上や再開発事業による住宅供給の増加などがあると考えられます。
さらに、首都圏の通勤動向として興味深い点は、東京都から埼玉県・千葉県・神奈川県への通勤者が増加していることです。東京都から3県への通勤者は2015年で39.7万人であり、5年間で1.8万人ほど増加していました。東京都からの通勤者は3県いずれも増加傾向にあるなか、神奈川県への通勤者は2015年に20.6万人にのぼり、10年から1.1万人増加しています。
 1都3県は依然として多くの通勤者に支えられながら首都圏を形成しており、そのなかでも東京都と神奈川県は通勤圏として一体性を増しています。1都3県が新型コロナウィルスの対策で緊密に協力することは必然といえるでしょう。今後、平時においても都や各県、各市区町村間で連携を深めることは、わが国の経済社会の持続可能性を高めるうえで不可避と思われます。

(執筆:宮下量久)

日々是総合政策No.133

民主主義のソーシャルデザイン:危機時のリーダーシップ

 東日本大震災から9年が経過した。今年も「3.11」を迎える5日前に、東京電力福島原子力発電所事故を題材とした映画「Fukushima 50」が公開された。門田隆将氏のノンフィクション書籍『死の淵を見た男 吉田昌郎と福島第一原発』(PHP研究所刊、文庫本は角川文庫)ノンフィクション書籍を原作とし、映画化された作品である。鑑賞中、私は3度、涙が溢れてきた。多くのことを考えさせ、胸の中に込み上げてくる映画であった。
 物語にはもちろん「総理大臣」も登場する。このモデルは、当時の菅直人首相であることは疑いようのない事実だ。そして、菅首相が3月12日の早朝に福島第一原発を視察したことも、3月15日の早朝に東京電力本店を訪れたことも歴史に記録される事実である。
 現代政治史において、これまでも何人かのリーダーが国家的な緊急事態に直面してきた。阪神・淡路大震災の発生時、当時の村山富市首相は、小里貞利氏を震災対策担当大臣に任命し、現場での指揮・判断を任せたと言われている。菅元首相は自ら福島原発に出掛けた。危機状況において、国のリーダーはどのように行動すべきなのであろうか。これは、現在の新型コロナウイルス感染症の拡大に対応する安倍晋三首相も、「歴史の法廷」で評価されることになる。
 米国のドナルド・トランプ大統領は、新型コロナウイルス感染症に対峙する自身を「戦時の大統領」と呼んだ。米国内の各州では「非常事態宣言」が出され、カリフォルニア州では「外出禁止令」が出された。欧州では、イタリア、スペイン、フランス、ドイツで「オーバーシュート(爆発的患者急増)」が起きている状態であり、外出や移動の禁止、生活必需品以外の店舗を閉鎖するなどの「ロックダウン」の措置が採られ始めている。
 日本国内を見てみると、3月19日に北海道知事は緊急事態宣言を終了させた。一方、大阪府知事は、3月20日からの3連休において、大阪府と兵庫県との往来の自粛を呼びかけた。都市部での感染拡大を抑制することができるのか、もしくはオーバーシュートが起きるのか、予断が許さない状況が続いている。まさに、首相のリーダーシップが問われている。
 危機時にどれだけの権限をリーダーに移譲するのか、これも民主主義の大きな論点である。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.132

忖度-棚田百選-

 貿易自由化を目指すガット・ウルグアイ・ラウンドの最終合意の後、農林水産省では強く影響を受ける生産性の低い山間地などの農業対策に苦慮していた。山間地の農地整備を担当課長だった私も何とか山間地を活性化したいのだが、整備コストは高く、高率の助成には財務省の了解が得られない。お金を使わずに出来ることはないか。棚田百選を思いついた。これなら選定委員会の委員謝金と若干の事務費で済む。
 早速、親しくして頂いていた中川大臣の了解を取ることにした。予算がほとんど掛からないのだから反対もないのだが、「ところで十勝に該当地区はあるの?」と問われた。「十勝には以前水田がありましたが今は畑と牧草地だけです。」と答えると、「北海道にはあるの?」と返された。中川大臣は北海道の十勝地方を選挙区としている。「調べてみます。」と言って、その場を凌いだ。道庁に連絡すると“棚田”の写真が送られてきた。旭川の山間地の水田だが、どう見ても本州などの平場の立派な整備された水田である。これではダメと言うと、幕府にコメの収穫はないと報告していた“無石”の松前藩の“隠し田”があるかも知れないという。それそれ!早速現地に行ってもらったら、「耕作放棄されていました」と回答があった。
 大臣に事情を説明し了解を得て、各都道府県に棚田百選候補を推薦するように依頼した。委員会で管理体制などの選定基準を決め選定し、プレスクラブに発表した。各紙が取り上げて予想以上の反響となり、電話の問い合わせは1週間で400本を超えた。特に多かったのは小学校の先生だった。
 政務次官(現在の副大臣)から各地区の代表者に認定状を渡す日を決め、その日の夕刻に祝賀会を開催することにした。でも、そんな予算もない。ホテルなどで会費制も私の部下に会費を払わせるには心苦しい。そこで、役所の会議室を宴会場に各選定地区から地元の名産品を持ち込んで貰った。国家公務員倫理法が気にはなったが、大成功だった。日本各地にこんなに美味いものがある。山間地も捨てたものではない。大臣も駆けつけ宴会は大いに盛りあがった。美酒に酔いながら、発想から3ヶ月の日々を思い返した。大臣への忖度もできなかったけれど、今でも棚田百選は各地で息づいている。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.131

世界にはびこる不正義を許せるか(3):「加害者にやさしい国 日本」

 2018年1月に前橋市で交通事故があり、当時85歳の男が運転する乗用車によって女子高校生2人が死傷した。その判決が2020年3月6日、前橋地裁であった。結果は無罪であった。事件の概要と無罪判決の論理はこうである(以下の内容は、上毛新聞社「女子高生死傷事故 87歳被告に無罪判決 前橋地裁 静まり返る傍聴席 遺族『頭、真っ白に』」2020年3月6日6:06配信、https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200306-00010000-jomo-l10、ニュース基づく)。
 ①男は排尿障害の薬を服用→②乗用車を運転→③急激な血圧変動で意識障害→④車は対向車線の路側帯へ→⑤路側帯を自転車で走っていた高校生2人がはねられる→⑥1人は死亡、1人は脳挫傷などで大けが
 男には、低血圧やめまいの症状があった。検察側によると、③の可能性があるので、医師は運転しないように注意していた。しかし、裁判長は、慢性的な低血圧が意識障害になった事実はない、①が③の副作用をもたらすという説明を受けた証拠はない、意識障害の発生は予見できなかった、という理由で無罪判決を行った。しかも、「事故は事実だが、男の責任ではない」とした。要するに、薬が予見できない行為を引き起こしたので男には責任がない、というわけだ。
 この判決のように、罪のない人を殺傷し、その人たちの幸せと将来の可能性を抹殺した人間に対して、ほとんど罪が問われないケースが日本では少なくない。実際、麻薬等を服用して刃物を使って無差別殺人をおかしても、責任能力がないとして無罪もしくは極めて軽い罪を言い渡すだけの判決が多い。
 高校時代に私は正義の味方になりたいと思って法学部受験を考えていた。しかし、私の考えは間違っていたようだ。日本の法律は、正義のためにあるのではなく、加害者の権利を守るためにあるかのようだ。すでに声を出して反論できなくなった犠牲者や被害者の権利には何の配慮もない。日本に正義の味方はいないのか、少なくとも裁判長は正義の味方ではなく、加害者の味方のようだ。

(執筆 谷口洋志)

日々是総合政策No.130

再分配政策(2):政府の再分配政策と個人の私的動機づけ

 前回(No. 121)は、最悪の事態に対する備えとしての社会保障制度を、再分配政策に対する立憲的な政策需要の観点から考えました。立憲後段階(社会の基本構造や基本ルールの設定後の段階)で、政府の再分配政策を求める個人の私的動機づけもあります。
 政府の再分配政策を考える前に、チャリティーや贈与や援助のような私的な再分配行動をとる個人を分類してみましょう。(1)貧しい他者の所得や効用(満足・福祉)が高くなると自分の効用が高くなる個人、(2)貧しい他者の特定の財・サービス(医療・教育・食料など)の消費水準が高くなると自分の効用が高くなる個人、(3)貧しい他者に自分が手を差し伸べ贈与を与えたという慈善行為そのものから効用を得る個人、(4)貧しい他者に手を差し伸べ贈与を与えた慈善家(良い人)という評判を得ることから効用を得る個人、が考えられます。
 以上の4類型のいずれの個人も、自発的に貧しい他者に所得移転や特定財・サービス移転を行う私的動機を持っています。しかし、類型(3)(4)の個人が行う贈与は私的財の性質を持つのに対し、類型(1)(2)の個人が行う贈与は公共財の性質を持ちます。つまり、類型(1)(2)のような個人にとっては、自分以外の誰かが貧しい他者に手を差し伸べて所得移転や特定財・サービス移転をするならば、自らがそうした移転をしなくとも自分の効用を高めることができますので、フリーライダーが可能になります。言い換えれば、類型(1)(2)のような個人と同じような人々にとっては、貧者である個人の所得や特定の財・サービスの消費水準は、公共財となります。
 したがって、こうした貧者に対する公共財としての再分配を供給する政府の再分配政策を求める個人の私的動機づけとしては、類型(1)(2)のような個人と同じような選好をもつことが考えられのです。ただし、類型(1)の場合には貧者への現金移転が効率的な移転形態ですが、類型(2)の場合には貧者への特定の財・サービスに対する価格補助金が効率的な移転形態になります。

(注)本エッセイは、横山彰(2018)「再分配政策の基礎の再考察」『格差と経済政策』(飯島大邦編、23-45頁、中央大学出版部)の一部を分かりやすく書き直したものである。

(執筆:横山彰)