世界にはびこる不正義を許せるか(1):狂った正義
最近は、飛行機に乗ることが多くなった。とはいっても、世界を飛び回るビジネス・パーソンに比べると、大した数ではない。過去よりも飛行機に乗る機会が増えたというだけのことである。
海外便に搭乗すると、娯楽用のモニターが付いていることが多い(短距離便や格安航空会社の便ではほとんど見かけない)。モニターでは、映画やニュース、音楽、飛行情報、入国審査情報などを見ることができる。昨年10月にフランスとハンガリーに渡航した際は、機内で久々に外国映画を見た。それは、イギリスのyesterdayという映画で、1960年代に世界中の若者を熱狂の渦に巻き込んだThe Beatlesの音楽を題材にしたものであった。
何とも言えぬ満足感に浸ったあと、次は何を見ようかと映画タイトルを探したが、アメリカ映画だけはほとんど素通りだった。私にとって、アメリカ映画はつまらないものが多く、不愉快で、暴力的で、多数の殺人・殺戮を日常のことのように平気で映し出すからである。拳銃やマシンガンで人が死んでも同情も憐みの言葉もない。それどころか、多数の人間を殺害した人間がかっこよいヒーローとして描かれる。
もっとも、かつての日本ではやくざ映画がはびこり、任侠者シリーズとして殺人者が英雄のごとく扱われていた。あのときも嫌悪感しか抱かなかった(だから1回見ただけで、その後は見ることはなかった)。やくざを英雄視するなど、狂った映画としか思えない。やくざが自慢げに見せる入れ墨なども嫌悪の対象でしかない(今でも同じ感情を抱く)。アメリカ映画も同じように見える。
しかし、狂っているのは映画の中の世界だけではないようだ。世界最大の権力を握った某国の大統領も狂っている。身内の人間を国家の重要な仕事に就け、敵対者には下品で、野蛮で、人格・品格のかけらも感じられない言葉をツイッター上に平気で書き込む。その大統領が、この正月の間に、イラン司令官の殺害を命じたという。一国の大統領が、他国の人間の殺害を命令し、それが実行された。それはほんとうに正義なのか、どういう正義なのか。
正月早々、我々は重い問題を抱えることになった。
(執筆 谷口洋志)