大阪都構想と公共選択論(上)
大阪都構想は公共選択論からはどのように評価されるでしょうか。今回と次回は、この点について考えてみたいと思います。
公共選択論は政治の世界も経済学の原理でみていこうと問題提起し、多くの政治の失敗を明らかにしてきました。公共選択論では、政府がリバイアサンという怪獣になって人々を苦しめます。Brennan and Buchanan (1980)は、リバイアサン政府が税収最大化をはかるので課税権の制限を定めた憲法でこれを抑制することを説きますが、連邦主義での政府間競争が憲法の替りとなるといいます。地方政府間で競争が生じ、まずい行政サービスを提供していると、人々はその地を離れていくからです。
これは地方政府の数が増えて競争する環境が望ましいとの意味を持ちますが、Oates (1985)は、政府の数が増えたからといって税収が減っているといえない、との計量分析結果を提示してBrennan and Buchananの主張に反対しています。Zax (1988)もデータ分析によって、政府の数が増えたからといって財政指標がよくなっているわけではない、と述べています。
Migué (1997)は、上位政府と下位政府間の競争が過大な公共サービスの提供につながるといいます。Miguéが考える競争は、上位政府政治家と下位政府政治家が政治的利得のために競って共有地の石油を掘る公共事業を行うような状況です。どちらの政治家も自分にとって政治的利得を最大化するだけの公共事業を行いますが、結果として石油資源が枯渇します。政府間競争が望ましくない結果をもたらすとの議論で、注意しておかねばならないと思います。
Wagner and Yokoyama (2014)は、連邦主義を競争的連邦主義とカルテル連邦主義に分け、前者が「自由」の概念と親和的で望ましいとの規範的な議論を展開しています。前者は対等な下位政府が自然発生的な合意に基づいて形成する多中心主義(polycentrism)を、後者は上位政府が独占的な力を持つ単中心主義(monocentrism)を特徴とします。政府の数を増やすという形だけの連邦主義ではなく、対等な主体が合意に基づく政策形成がしやすい環境をつくることが大切だとの議論です。
(執筆:奥井克美)
(注)参考文献
Brennan, Geoffrey and Buchanan, James (1980), The Power to Tax: Analytical Foundations of a Fiscal Constitution, Cambridge: Cambridge University Press.(深沢実他訳『公共選択の租税理論』文眞堂, 1984年.)
Migué, Jean-Luc (1997), “Public choice in a federal system,“ Public Choice, Vol. 90, pp. 235-254.
Oates, Wallace (1985), “Searching for Leviathan: An Empirical Study,” American Economic Review, Vol. 75, pp: 748-57.
Wagner, Richard E. and Yokoyama, Akira (2014), “Polycentrism, Federalism, and Liberty: A Comparative Systems Perspective,” George Mason University – Department of Economics, Working Paper in Economics, No. 14-10, pp. 1-30.
Zax, Jeffrey (1988), “The Effects of Jurisdiction Types and Numbers on Local Public Finance,” In Fiscal Federalism: Quantitative Studies, edited by Harvey Rosen, Chicago: University of Chicago Press, pp. 79-103.