日々是総合政策No.215

コロナ禍と民主主義と日本社会

 本フォーラムのパネル・ディスカッション「コロナと日本社会:政策と文化の視点から」(2021年3月13日)を聴講し、「パンディミックに強い社会として、安全と監視の兼合いに悩む民主主義体制よりも強権政治体制の方が優れているという恐ろしい結論」(本コラムNo.151)という危惧が益々高まった。我々が自由と民主主義のお手本としてきた欧米先進諸国では、「マスクをしない自由」を訴えるデモ行進が行われる。他者に危害を加える自由などあるはずがない。自由の履き違えは驚きを超えて幻滅に等しい。
 幻滅で終われば良いが、新型コロナウィルスの封じ込めにいち早く成功した中国では、共産党の一党独裁の専制支配こそが欧米先進諸国の自由と民主主義に代わる優れた仕組みと礼賛し、ワクチン外交を推し進めている。世界史的問題へと発展しかねない。東西冷戦下のソ連を盟主とする東側陣営は共産主義・社会主義の政治・経済・社会体制を敷いて別世界であったが、現在の中国は政治・社会体制は異なっても経済は資本主義諸国との相互依存を進化させてきた。今やその中国は「一国二制度」ならぬ「一世界二制度」(注)を標榜し覇権を目指しているようだ。そして、資本主義・自由主義諸国は、香港の惨状を見て、同盟を強化し対抗しようとしている。
 司馬遼太郎は随筆「歴史を動かすもの」で、日本の江戸期を「国家や社会の目的が安寧と平和であるとすれば、世界史上最大の成功例」であった重秩序時代と考え、この支配構造の重さだけは明治期から終戦まで強化されたとした。そして、「私は戦後日本が好きである。ひょっとすると、これを守らねばならぬというなら死んでもいいと思っているほどに好きである。(中略)可憐な日本人たちは数百年来の深海生活から浅海に浮きあがってきた小魚のむれのように一時は適応できずとまどいはしたがとにかく有史以来、日本人がやっと自由になり、」と記した。昭和45年のことである。 
 それから50年余。小魚のむれはどうなったのだろうか。今日も路上でマスクをしない人は見かけなかった。強権発動のない日本社会がコロナ禍にどう対応するのだろうか。世界の自由と民主主義が試されている。

(注)橋爪大三郎「中国VSアメリカ」、河出書房新社、2020年12月

(執筆:元杉昭男)