日々是総合政策No.227

ミャンマーのこと ビルマのこと

 「砂の牢獄」というと、砂漠のまん中では鉄格子もないのに牢獄にいるイメージを浮かべる。ところが、40年近く前に住んでいた当時のビルマ(ミャンマー)は「緑の牢獄」と言われていた。緑と牢獄はどうも似つかわしくなく哲学的に感じるが、それは現実だった。
 厳しい軍政下で政治的にも経済的にも自由がない。お金があっても賛沢できない。金持ちでも植民地時代の建物を修繕した自宅に大型テレビとビデオデッキを買うくらいである。派手に事業を行うと国有化される恐れがある。闇市で高額な外国製品を買っても目を付けられる。といって、高級食材を買っても召使などを沢山雇っても安すぎる。結局、金持ちはお金の使い道がなく、隠れて宝石を買い集めるとか、朽ち果てたゴルフ場でパッティング一打10万円の賭け事をやる(お金が金持間で移動)とかになる。政策的に金持ちに貧しい生活を強いる。貧乏人は元々物を買えないので、誰もが不幸な国であった。もちろん、政治的な話をすればいつ密告されるか分からない監視社会だ。
 ミャンマーは1948年の独立後も政治混乱が続き、1962年のクーデター後の軍政は、武力で少数民族の武装勢力などを抑え込むとともに、仏教思想を取り入れた「貧しさを憂えず、等しからざるを憂う」というビルマ式社会主義を掲げ、農業部門では地主への小作料廃止や商工業部門での国有化が推進された。同時に外国資本の排除、消費物資等の輸入制限、外国人の入国・海外渡航制限など鎖国体制を築いた。結果、1人当たりGDPは170米ドル(1985年)で最貧国となった。それでも有史以来飢餓のない国で、どんなに貧しくとも主食のコメだけはあり、仏教に裏打ちされた互助的な社会システムもある。
 昨年まで数回訪れた最大都市ヤンゴンでは、新築のビルが目立ち、道路は渋滞し、ショッピングセンターに人が溢れ、近代的なレストランもホテルも増え、明るい笑顔と活気があった。クーデターを起こした国軍も経済的自由を保障して経済発展を進める意向だが、外国投資は減少し発展は困難になる。しかもクーデター前の政権政党は少数民族の武装勢力と連携を取り、混乱は長引きそうである。
 夏が来る。目に焼き付いた眩しい緑。人々は緑の牢獄に耐えられるだろうか。

(執筆:元杉昭男)