日々是総合政策No.229

「見ることの意」

 この言葉は、日本のグラフィックデザイナーの草分け的存在であった粟津潔の『造型思考ノート』(河出書房新社、1975)に収められているエッセイ(28頁)の表題です。粟津は、「ものを創りだすことは、見ることだ」と言い、「見るということ。見えてくること。見抜くということが、ものを創りだす契機になっているような気がしてならない。そこが、『見ることの意味』なのである。」と書いています。そして、同書あとがきで、「作品をつくるということは、何を見ていたかということである。ここでいう見るということは、記憶と、これからあろうとする情動の衝突である。」(156頁)とまで言っています。
 この言葉は、視覚を研ぎ澄ませてはじめて絵と文字でメッセージを伝えることが可能になるグラフィックデザインの世界で、重みをもつのかもしれません。グラフィックデザイナーの手になる作品は、自主的につくられることもあるでしょうが、その多くがポスターや新聞広告や壁画や装幀などの制作依頼に基づいてつくられています。グラフィックデザインのみならず、インテリアデザイン、建築・環境デザイン、電子メディアデザインなど広く「デザイン」の世界では、「見ること」を通してメッセージが伝えられます。
 「見ること」を通したメッセージは、「見る」人それぞれの窓やフィルターの違いで、差異が出てきます。そこで、制作者と制作依頼者の窓やフィルターの違いだけではなく、作品を見る第三者である見手や、まだ生まれていない未来の見手の窓やフィルターの違いで、同じ作品でも多くの人びとに異なるメッセージを伝えことになるでしょう。そのとき、「素晴らしい」作品とは、メッセージの違いや時間を越えたものなのでしょうか。それは多くの人びとに、何か共通する感動や異なりながらも突出した感動を、与えるものなのでしょうか。
 また、「見ること」ではなく、「聴くこと」や「嗅ぐこと」や「味わうこと」や「触ること」を通してメッセージを伝える芸術作品では、「聴くことの意」(聴覚)や「嗅ぐことの意」(嗅覚)や「味わうことの意」(味覚)や「触ることの意」(触覚)が、大切にされ研ぎ澄まされることになるでしょう。

(執筆:横山彰)