コロナ禍のシンガポール的選択
1980年代後半は、プラザ合意後のグローバル化と大幅な円高の中(注1)、内外価格差が喧伝され農業バッシングが吹き荒れ、農業不要論まで出現した。一方、シンガポールでは狭い国土を農業から商工業利用に移して生産性を高め、政策的にも輸出主導に変え、当時の安価な労働力を活用した電気電子部品などの労働集約的産業を興した。その後は労働力不足と賃金の上昇で輸出競争力がなくなると、外資導入と移民政策とともに高度な工業製品への特化と金融・情報サービスの強化などに移行した。比較優位論(注2)に沿い生産性の低い産業からの撤退による効率的で豊かな社会の実現をシンガポール的選択として、日本の農政を論じてみた。
2020年の一人当たり名目GDPでは、シンガポールは世界第5位(58,484米ドル)で、22位の日本の1.49倍である(注3)。独立した1965年には日本の0.54倍で、都市国家と言われながらも農地が国土の5%を占め、農産物の国内生産に努め、1970年代には豚肉や鶏卵生産では自給率100%を超えていた。しかし、2017年ではGDPに占める農水産業0.03%、国土に占める農地面積は0.9%(日本:11.8%)で見る影もない(注4)。
ところが2008年の金融危機による価格高騰、2014年のマレーシアの魚輸出停止、コロナ禍での食料供給国による輸出禁止・封鎖などがあり、政府は食料輸入先の多様化とともに、2030年までに必要な栄養の30%を国内生産にする目標を設定した。狭小な国土を前提とした科学技術の活用により、培養肉などの代替タンパク質生産と室内型農場・養殖場生産を推進する(注5)。
日本の農政は、農産物貿易自由化の推進後、一転して成長産業・輸出産業化の推進など目まぐるしく変遷した。その間、論敵だったシンガポールの政策も変わってしまった。
(注1)1985年に米日独英仏がプラザホテルで合意したドル高是正策により円高が誘導された。
(注2)自国内で相対的に得意な(比較優位な)分野に専念し、他の分野を相対的に得意な国に任せる国際分業(交易)ができれば、自国の全体の生産性は向上するとする説
(注3)“World Economic Outlook Database, October 2020”,International Monetary Fund (2020年10月)
(注4)農林水産省,シンガポールの農林水産業概況(2019 年度更新)
(注5)「食のシリコンバレー」へ布石,日本経済新聞,2012年7月18日朝刊
(執筆:元杉昭男)