日々是総合政策No.72

代議制民主主義:半代表と純粋代表

 「1人1票と1円1票」(No.7)でお話しした多数決ルールは、暗黙のうちに直接民主主義を前提にしていました。今回は代議制民主主義について、考えてみましょう(注)。
 代議制民主主義は、国民や住民の選挙によって選ばれた議員が、議会で国民や住民を代表して集合的意思決定を行う制度です。代議制民主主義は、今日の国家や地方公共団体のような大規模な社会では有権者が多過ぎて、すべての有権者が直接に参加して集合的意思決定を行うことが困難のため、直接民主主義の擬制として採用されてきた制度といえます。しかし、まったく異なる代議制概念もあるのです。これは、直接民主主義の擬制としてではなく、直接民主主義が持つ弊害すなわち大衆迎合的な衆愚政治といわれる弊害を克服するために、選ばれた立派な人物すなわち選良が一般国民に代わり集合的意思決定を行う制度として理解されるものです。
 この2つの代議制概念の相違は、有権者と議員の関係の違いにあります。直接民主主義の擬制としての代議制では、議員は有権者の代理人に過ぎず、有権者の意思を政治に反映させることが求められています。この代表は、「半代表」ともいわれます。これに対し、選良が一般国民に代わり集合的意思決定を行う制度としての代議制では、議員が有権者から白紙委任を受けており、選任された後は、有権者とは独立に自らの判断で政治決定を行うことが期待されています。この考え方による代表は、「純粋代表」といわれ「半代表」に対比されています。半代表は人民代表、純粋代表は国民代表といわれることもあります。
 この異なる意味の代表を選ぶ選挙制度は、その理念の違いから、望ましい制度のあり方も違ってきます。半代表(人民代表)を選ぶ選挙制度としては比例代表制が、純粋代表(国民代表)を選ぶ選挙制度としては小選挙区制が良いとされています。現実の代議制民主主義は、半代表と純粋代表とを併せ持った制度になっています。次回は、代議制民主主義における投票と棄権について考えます。

(執筆:横山彰)

(注)今回の論述は、横山彰(1998)「代議制民主主義の経済理論」田中廣滋・御船洋・ 横山彰・飯島大邦『公共経済学』東洋経済新報社、196頁に基づいている。

日々是総合政策No.71

累進所得税のタイプ(1)

 今回は累進所得税の一つのタイプについて紹介します。所得税額Tを、
 T= t(Y-E) (1)
 と表します。tは税法が定めている法定税率であり、0<t<1 の一定値とします。Yは個人の年間所得、Eは控除です。Eには基礎控除や給与所得控除などがあり、後者は所得水準に依存しますが、ここでは簡単化のため一定値と仮定します。式(1)は、Y-Eが課税の対象となることを示し、Y-Eを課税所得と呼びます。
 では(1)のような所得税制は、Y>EとなるYの範囲で累進所得税でしょうか?そうでないでしょうか? 正解は累進所得税です。(1)から平均税率は
 T/Y=t(1-E/Y) 
 となります。Yが増加すると右辺のE/Yが低下します。よって(1-E/Y)が増加し、結局、Yの増加によりT/Yが増加します。すなわち,平均税率がYとともに増加するので累進税制です。累進となるのは、所得の増加とともに所得に対する控除額の割合が低下するからです。
 つまり、tが一定であってもE>0であれば累進所得税となります。なおEに等しい所得をYEで表すと、YEを課税最低限と呼びます。この水準を超えたYに所得税が課税されるからです。
 さらに、(1)でのtは限界税率となります。限界税率は所得税の場合Yが1円増加した場合、何円税負担が増えるかを表す税率(=ΔT/ΔY)です。(1)でYが1円増加するとTがt円増加しますので、ΔT/ΔY=tとなります。つまり(1)は限界税率一定の累進所得税制です。限界税率が一定であっても、Eの存在により、累進所得税となることに注意して下さい。ただし、Eが少額になればなるほど比例税に接近します。(1)でE=0とするとT=tY となりますね。
 (1)のタイプの所得税として、日本の地方所得税である住民税(所得割)があります。住民税の所得割ではt=0.1です。Eもかなりの多額にのぼります。また、スウェーデンの地方所得税も基本的にはこのタイプです。ちなみに同国のtは全国平均で0.32(2019年)です。ただ同国の地方所得税ではEが少額に抑えられていますので、税率だけでなく、Eに対する政策にも注目することが重要です。

(執筆:馬場 義久)

日々是総合政策No.70

予防医療(上)

 前回(No.42)は、日本の医療制度改革の経緯と方向を概観しました。医療制度改革の基本目的の一つは「国民皆保険制度の維持・安定化」にありますが、これにはいくつかの検討課題があり相互に関連しています。具体的には、①診療報酬、②薬価制度、③社会保険料と租税の負担(国民負担率)、④患者自己負担と高額療養費、⑤医療の提供体制(かかりつけ医機能、遠隔診療を含む)、⑥予防医療があげられます。
 こうした課題について、医療費と経済・財政の動向や人口と疾病構造の変化、治療・検査技術の進歩等が考慮され、改革が行われてきました。一般に①~⑤が重要課題になっており、これらを整理・検討した上で⑥の予防医療を取り上げる予定でしたが、近年ではその中でも労働者の予防医療の重要性が増しています(注1)。今回は、この意義を先に整理しておきたいと思います。
 労働者の予防医療は、主に経済産業省と厚生労働省、企業と保険者(健康保険組合等)において提唱され、大企業を中心に多様なプログラムが導入されています。一般にこうしたプログラムは、企業と保険者の協働(コラボレーション)によるものとされますが、労働者の主体的参加と行動が重要になります。
 予防医療の基本目的は、労働者の健康を長期的に維持・増進させることにあります。これにより期待される成果として、第1は労働生産性の維持・向上、第2は就労可能年数の延長があげられ、第3に重症化・長期入院の抑制による医療費軽減が期待されます。第1と第2は生産年齢人口が減少する中で有用とされ、第2は公的年金の繰下げ受給の選択につながる基本的要因にもなりえます(この場合には、高齢者雇用のあり方が問われることになります)。
 日本では(欧米の先進国に比べ)予防医療は必ずしも重視されていないとされ、また「予防による医療費抑制効果は明らかではない」とも指摘されます(注2)。こうした評価がなされていますが、健診・検査機器と検査技術(データ管理を含む)の進歩、疫学研究の進展により予防医療の質的向上が可能とされる現代では、予防医療には医療費の多寡では規定しえない意義があると言えます。
 今後の方向を考える上では、これまでの経緯と課題を整理する必要があります。これについては次回、「予防医療(下)」として取り上げます。

(執筆:安部雅仁)

(注1)一例として、日本経済新聞(2019年9月3日)「予防医療、企業を支援-社会保障改革 7年ぶり始動」が参考になります。
(注2)Cohen, J., P, Neumann. and M, Weinstein(2008)“Does Preventive Care Save Money? Health Economics and the Presidential Candidates”. The New England Journal of Medicine, Vol.358, No.14, pp.661-663.津川友介(2014)「予防医療のうち医療費抑制に有効なのは約2割」https://healthpolicy healthecon.com/2014/07/17/cost-saving-preventive-medicine/(2019年9月6日最終閲覧).

日々是総合政策No.69

「ノー・チャンス・マダム」(上)

 これは、私が雇っていたナイジェリア人のドライバーが、アフリカ滞在中の私を揶揄してつけた呼称である。当の私は、知り合いのマダムに言われるまで、自分がそのように呼ばれていようとは、全く知らなかった。はて、それが日々是総合政策といかなる関係があるやなしや。。。
 1996年、外交官の夫は留学先のイギリスから直接、最初の赴任地であるナイジェリア連邦共和国に行くこととなった。大学卒業後すぐに結婚し、留学2年目から夫に合流していた「新婚さん」である私は、「誰がアフリカにいくんだろうねぇ」と小指を立てて午後のお茶を飲んでいたら、白羽の矢が当たったのは自分達だった、というオチである。日本に寄ることは許されないので、山のような予防接種をロンドンでいっぺんに受ける羽目になり、帰宅時に見上げた真っ黄色な太陽に立ちくらみ、しばらく道端にしゃがみ込んでいた記憶がある。
 滞在期間は、1960年の独立以降続いた、共和制と軍事政権のスパイラルの真っ只中だった。1998年アバチャ将軍(第三次軍政)の急死で、民政移管を期待していた世間はさらに荒れた。空港までの道路には、火をつけた廃タイヤのバリケードが築かれた。タイヤは石油とゴムで出来ているからか、ゆっくりよく燃え、アスファルトに伝熱させて交通を遮断できる最も手近な方法なのだ、ということをここで学んだ。民政移管したのは1999年、プスプスと微かな音を立てながら煙を出すアスファルトを超えて私たちが帰国した翌年だった。
 近年、アフリカは、たった20年余りでその頃とは比べものにならないほど経済成長を遂げ、台頭した中国の資本も多く投下され、アフリカ諸国の立場も強くなった。その変化は、2008年の第4回以降のアフリカ開発会議(TICAD:1993年以降日本政府が主導して、国連、国連開発計画(UNDP)、世界銀行、およびアフリカ連合委員会(AUC)と共同開催している国際会議)に見て取れる(注)。それまではアフリカ経済の低迷から、アジア経済の経験の強調、貧困削減、特に日本の援助理念の到達点とされる「人間の安全保障」の観点の共有が主な課題だったが、2008年の第4回以降は、経済成長と民間投資の促進も関心の的となった。(続く)

(執筆:杉浦未希子)

(注)TICADは、Tokyo International Conference on African Developmentの略である。1993年以降、第7回にあたるTICAD7が、2019年8月28日から30日の期間、横浜で開催され、閉幕時に横浜宣言2019が出されたのは記憶に新しい。TICADの変遷は、高橋基樹(2017)「TICAD の変遷と世界:アフリカ開発における日本の役割を再考する」『アフリカレポート』55:47-61、日本貿易振興機構アジア経済研究所(http://hdl.handle.net/2344/1610 2019年9月17日閲覧)が詳しい。また、UNDPはUnited Nations Development Programme の略、AUCはAfrican Union Commissionの略である。

日々是総合政策No.68

中国の株式型クラウドファンディング

 中国においても、地域経済の活性化が重要な課題になっています。地域経済の推進者は
中小企業、ベンチャービジネス、農業など地域を基盤とするコミュニティビジネスです。しかし、これらのビジネスに共通する悩みは、資金調達が難しいことです。それだけに、クラウドファンディングに期待が掛かることになりそうです。
 実際、2010年代に入って、世界のクラウドファンディングは急成長を遂げています。特に伸長が目覚ましいアジアの牽引者は中国です。クラウドファンディングにはいろいろな型がありますが、米国では寄付型が目立っていたのと対照的に、中国では株式型クラウドファンディング(未公開株と引き換えに投資するタイプ)が主軸になっています。
 その違いは、両国の地域金融システムの形成過程が異なっているためです。米国の地域金融は民間商業銀行やNP0などの民間部門を政府が補助するシステムであったのに対して、中国は国有大企業が国有商業銀行から優先的に資金を得られたのに比べ、中小企業など小規模事業の資金調達は不利な立場に置かれていました。それを補ってきたのが主にインフォーマル金融(「講」や「頼母子講」のような未公認の民間金融)でした。浙江省温州市における事業の発展がその代表例ですが、インフォーマル金融が中小企業の資金調達に重要な役割を果たすことから、政府が黙認ないし活用してきました。
 このインフォーマル金融を代替しようとしているのが、クラウドファンディングです。特に2014年に政府が承認した株式型クラウドファンディングが、インターネットを通じて小口投資と中小企業の資金調達を活性化しつつあります。政府も国有商業銀行を主柱とするフォーマル金融と伝統的なインフォーマル金融の双方の改革を進めるため、株式型クラウドファンディングを支援しています。
 しかし、真に小口投資家、市民の参加を促し、地域活性化を実現するためには、詐欺など不正な行為を防ぐ絶え間のない対策が必要になります。

(執筆:岸 真清)

日々是総合政策No.67

行政事業レビューとEBPM(下)

 国では、EBPM推進とあわせて、「統計改革」が推進されています。それと関連して、行政事業レビューでは、事業の成果目標およびその根拠である統計等データを明確にすることが求められています。しかし事業によっては、定量的な成果目標を示すことが困難な場合もあり、代わりに事業の妥当性を検証できる定量データが示されることもあります。
 さらに、成果目標を実現するための活動指標も示されます。成果と活動の区別は非常に重要で、活動指標が成果目標とされていないことを検証する必要があります。また、成果や活動に関する定量的評価にあたり、既存の統計データだけでは十分でなく、しばしば独自の集計作業をともないます。
 このようなデータとあわせて、ロジックモデルが利用されます。ロジックモデルにおいて示される因果関係は、統計学的手法にもとづくわけではないので、科学的検証にたえるものではありませんが、一定以上の意義はあると思います。まず、事業によっては成果目標を示す適切なデータが存在しないこともあり、そのようなケースにおいて無理に統計学的手法を用いることは的確でないと思います。また、ロジックモデルにより、政策担当者の考えが可視化され、彼らが見落としている事項、たとえば質的要因や外的要因などを指摘しやすくなるという効用があります。これにより、よりスムーズに事業の改善を提言することが可能となります。
 行政事業レビューに関して、EBPMの推進と関連付けて、データや因果関係の検証に関する現状について言及してきましたが、これら以外にも、行政評価との連携など、さまざまな課題があります。このようなに課題が多くある行政事業レビューですが、一定以上の意義があります。それは、単に政府予算の無駄の削減や事業実施の改善だけではなく、そもそも、国の行政機関が、国民に対して、事業実施に関する説明責任を果たす一つの取組であるということを認識しておくべきだと思います。

参考文献
伊藤公一朗著『データ分析の力 因果関係に迫る思考法』光文社新書
エステル・デュフロ他著『政策評価のための因果関係の見つけ方』日本評論社

(執筆:飯島大邦)

日々是総合政策No.66

民主主義のソーシャルデザイン:どのように決めるのか?

 いま、目の前には9つの椅子が置いてあります。そして、その椅子の前には自分も含めて10人の人が立っています。みんなが椅子に座りたいと思っていますが、1人1脚ずつ座るとすれば、椅子に座れる人は9人ということになります。つまり、10人のうち、1人は座れないことになります。
 このとき、椅子に座れない1人をどのように決めれば良いでしょうか。ここで忘れてはいけないのは、自分が椅子に座れない1人になるかもしれない、ということです。そこで考えるのは、自分が最も「座れなくなる」可能性が高くなる「決め方」を避けたいということでしょう。
 何かを「決める」ためには、まず「決め方」を決める必要があります。それでは、その「決め方」を決めるためには、どうすれば良いでしょうか。「決め方」そのものが決まっていないので、みんなが合意できる(全員一致できる)決め方は何か、ということを考えることになります。「決め方」が決まらなければ、ずっと椅子に座ることはできませんし、早く「決め方」を決めようとするので、少なくとも、自分が一人だけ損をしない「決め方」にはならないようにしようとするのではないでしょうか。
 「じゃんけん」という方法は、公平な決め方でありそうで、運に左右されることもあり、誰もが「座れなくなる」可能性が意外と高いかもしれません。「お金」はどうでしょう。元々、お金をたくさん持っている人は、ぜひ「椅子に支払える金額の高い順で決めよう」と言うかもしれませんが、確実に「座れない」と思った人は反対するでしょう。カリスマ的なリーダーに全てを決めてもらうことは、意外と自分が「座れなくなる」可能性が低いかもしれません。
 「投票」という方法はどうでしょうか。この方法に合意できたとして、次に、もうひとつ決めなければいけないことがあります。それは、単純に票の数が多い人から「座れる」ようにするのか、「座れない人」を決める「投票」を行って、過半数を得た人が「座れなくなる」のか、3分の2や4分の3以上の票を必要とするのか、はたまた3分の1や4分の1の票が集まった人が座れなくなるのか、こうしたルールも決める必要があります。
 民主主義のソーシャルデザインでは、このような「決め方」の仕組みそれ自体を考えていくことも重要なテーマとなります。

(執筆:矢尾板俊平)

日々是総合政策No.65

カツ丼文化論

 先日開催された本フォーラムの設立記念集会で、「多文化共生」が本年度の研究テーマとして取り上げられ、総合政策も文化まで踏み込んでいることを知った。確かに周りに外国人が増えた。ところで、外務省の研修で人類学者から「成田空港に降り立つと頭が混乱する。」という話を聞いたことがある。一人一人の顔や体形を見て、○○系と判断する人類学者にとって日本人はそれだけ混血が進んでいるという。これは顔や体形だけでなく文化にも言えることである。
 日本は文化面でも中国や欧米の文化をその都度取り込んで和風化する “文化的混血国家”である。和風ハンバーグに和風スパゲッティ。ポルトガル発祥の天ぷらは醤油と大根おろしを加えられ、米飯に載せられて天丼になる。明治になってカツレツが登場するとカツ丼になる。食文化だけではない。表意文字の漢字から表音文字のひらがなを作り、欧米語は微妙な距離感を表示するカタカナで対応するといった和風化を行い、宗教でも神道と仏教を平気で併存させ、キリスト教徒でもない人々がクリスマスからハロウィンまで楽しんでしまう。
 これは何を意味しているのか。異物が入ってきても自分流にアレンジし位置付けて受容してしまう。免疫力のように異物を抹殺するのではなく、思考の座標が広くて何でも位置付け自分に合うようにアレンジできることである。ごみ収集などの日常生活のルールでも、良い意味で「郷入れば郷に従え」という教えで、地域社会で共生し、そのうちに日本風のやり方が導入される。どんな他文化も自己流に受容する。
 そうなら、他の国や地域の人々も○○国風や△△地域風にアレンジして他の文化を受容できないのだろうか。文化を融合させる和風化が広い思考の座標を前提しているならば、究極的にはその座標はどの文化にも共通になるのではないか。いつの間にかラーメンは味噌ラーメンに進化し和食になり、近年、和食が世界の人々から評価されている。多文化共生では“文化的混血国家”日本の流儀はガラパゴス化でなく、世界がガラパゴスになるかも知れないと淡い夢を持った。

(執筆:元杉昭男)

日々是総合政策No.64

人口減少のインパクト(5):人口減少の要因

 これまで,日本の人口減少について解説を行ってきました。今後50年間で約4,000万人の人口が減少していくという,すさまじい人口減少社会に突入していくことになります。また,人口減少のインパクトは地域ごとに異なります。主として地方部では,出生数の減少と高齢化がますます進行していくのに加えて,都市部への人口流出が進むことによって,人口減少は加速していきます。一方で,都市部での人口減少は相対的に緩やかであり,総人口に占める都市部の人口割合はさらに大きくなっていきます。
 ここまで述べてきたように,人口減少には「出生」,「死亡」,「移動」の3つの要素が関わってきます。死亡に関しては,高齢化の進展によって死亡者数が増加していきますので,人口減少の大きな要因となります。しかしながら,高齢化率も上昇し続けることを考えると,高齢者の増加よりも若年者の増加が少ない,つまり,生まれる子供の数が少ないことを意味しています。高齢者の増加による死亡者数の増加と,出生数の減少が人口減少を加速させているのです。
 なお,移動に関しては,日本全体で見たときには「どこかの地域の流出は別の地域の流入」となりますので,問題ありません。もちろん,これまで見てきたとおり,地域ごとで捉えた場合には「移動」の影響を無視することはできません。また,日本全体で見たときでも,海外への流出や,逆に日本への流入もありますので,そのような移動を考慮する必要もあるでしょう。現時点では,日本全体の人口に占める海外との「純移動」(流入-流出)は非常に小さいですが,今後は拡大していくことが予想されます。
 人口減少を食い止めるためには,①高齢者の死亡数を減少させること,②出生数を増加させること,③海外からの人口流入を増加させること,の3つが考えられることがわかります。このうち①に関しては,健康寿命の延伸など様々な対策が考えられますが,人は生きている以上,いつかは必ず亡くなりますので,人口減少という側面からは根本的な対策とはならないでしょう。また③については,移民政策として議論されるものになりますが,本稿ではひとまず除外します。次回以降では,②の出生数の増加について述べていきましょう。

(執筆:中澤克佳)

日々是総合政策No.63

経済成長(続き)

 こんにちは、ふたたび池上です。前回は、絶対収束、条件付き収束のお話でした。今回は技術革新と経済成長のお話です。
 前回までの経済成長のお話は、技術革新がない場合のお話でした。その場合、すべての国の一人あたり生産量(所得)の成長率(経済成長率)は少しずつ鈍くなり、やがてゼロとなります。前々回お話した、生産関数の収穫低減の仮定により、投資すればするほど投資のリターンが小さくなり、経済成長率も鈍くなるのです。また、生産関数、貯蓄率、人口増加率が同じ国々は、同じ一人あたり資本量、生産量に収束します(条件付き収束)。最終的には途上国経済が先進国経済にキャッチアップすることが予測されます。
 しかし、現実には、先進国の経済成長率はいまだにゼロとなっていません。技術革新をこの理論(モデル)に加えると、各国の経済成長率はゼロではなく、技術進歩率に収束することになり、先進国でも経済成長を継続している現実を説明できるようになります。例えば、日本の技術進歩率が毎年2%ならば、日本の経済成長率は、経済成長につれてだんだん鈍くなりますが、ゼロではなく2%に収束します。
 この経済成長のモデルは最初に考え出したソローという人の名前から、ソロー・モデルと呼ばれ、大学の開発経済学やマクロ経済学の基礎として学ぶものです。この基本モデルの限界(不備)として、以下の2つが挙げられます。
 このモデルから、経済成長に伴い、一人あたり資本の増加、経済成長が鈍くなることが予測されます。しかし、現実のデータをチェックすると、成り立っていません。これが、このモデルの1つ目の限界です。
 また、現実のデータを分析すると、経済成長の主な源泉である、 一人あたり資本の増加と技術進歩の2つは、同じ位の値で経済成長に貢献している、つまり、経済成長にとって同じ位、重要であることがわかっています。このモデルの2つ目の限界は、それほど重要な技術進歩が、なぜ起きるのか説明できない、していないことです。
 これらの2つの限界を克服する、新たな経済成長のモデルがいくつも生み出されています。次回は、そのお話ではなく、経済成長にともなう農業の縮小など、産業構造の変化のお話の予定です。

(執筆:池上宗信)