日々是総合政策No.62

行政事業レビューとEBPM(上)

 国や地方自治体の行政サービスの評価がなされるとき、その背後にある政策の体系は、「政策」、「施策」、「事業」の3段階として捉えられます。例えば、政策として環境にやさしい社会の実現、施策として廃棄物の減量、事業としてリサイクルの推進というように、段階を経るごとに具体的なものになります。
 国レベルに関しては、民主党政権下において、2009年から「事業仕分け」が開催され、行政機関外部の者により、各府省庁の事業が評価されました。その後、自民党政権下では、事業評価の取組にいろいろな変更が加えられ、「行政事業レビュー」というかたちで毎年度実施されています。
 事業の評価にあたっては、評価対象事業が、必要とされかつ公共部門によって実施されることが妥当であることを明確にした上で、事業の実施における有効性、効率性、緊急性などの観点も考慮されます。さらに、そのような検討において、質的情報だけではなく、関連する定量的目標も適宜利用されてきました。しかし、近年、国が推進する「証拠に基づく政策立案(Evidence-based Policy Making, EBPM)」の取組の一つとして、行政事業レビューが位置づけられるようになり、行政事業レビューの実施においても改善が試みられています。
 EBPMでは、政策決定の際、統計学の手法を用いて、政策実施を原因とし、政策効果を結果とする因果関係が示されることが必要とされて、両者の因果関係が示されることによって、政策が評価されます。EBPMの考え方に基づくと、ランダム化比較試験(Randomized Controlled Trial, RCT)と呼ばれる手法が理想とされますが、行政事業レビューのように、各府省庁のすべての事業を評価対象とする取組においては、EBPMの要素を取り入れることにおいて、限界もあることは認識すべきだと思います。現状においては、すべての事業評価において、「ロジックモデル」が導入されています。ロジックモデルは、統計学の手法は用いられていませんが、政策実施から政策効果へ至るフロー図によって因果関係を明示し、あわせて事業の成果に関するデータも示すものです。
 次回では、筆者の行政事業レビュー外部有識者委員の経験を踏まえて、いくつかの点についてコメントします。

(執筆:飯島大邦)

日々是総合政策No.61

日本的論理を疑う(2)

 デフレとは、英語の本では「持続的な物価の下落」と書いてある。つまり、ある程度の期間にわたって物価が下がっていく状態のことであるから、短期または一度限りの下落であれば、デフレとは言わない。
 一方、日本では、デフレとは「物価の下落による景気の悪化」という意味合いで定義されてきた。したがって、物価が下落しても景気が悪化しなければデフレではないし、物価の変動とは無関係に景気が悪化するならばこれもデフレとは言わない。
 日本の歴代内閣は、「デフレからの脱却」を掲げてきたが、ここには「デフレ=悪い状態」という認識がある。したがって、物価が下がり続けて消費者の購買力が高まることになってもデフレとは言わない。つまり、「持続的な物価の下落」が消費者に好ましい結果をもたらすような「良い状態」はデフレでない。また、「デフレ=物価の下落による景気の悪化」とすれば、「景気の悪化による物価の下落」もデフレとは関係ないことになる。
 このように、「持続的な物価の下落=原因、景気の悪化=結果」の場合だけ、日本ではデフレと呼ばれてきたのである。原因と結果が逆の場合、あるいは原因が同じでも結果が異なる場合(つまり景気が悪化していない)は、デフレとは呼ばれないのである。
 その一方で、消費者物価(皆さんが普段購入する商品・サービスの価格の総合指数)の動きを見て、日本では15年もデフレが続いたと発言する人が多い。しかし、実際には、物価が下がった時期が多かったとしても、15年にわたって物価がずっと下落し続けたという事実は存在しない。ただし、GDPデフレーターと呼ばれる国内総生産(GDP)に関わる物価については、15年にわたって下落したという事実はある。
 デフレのように、日本では、原因と結果を含めて定義することが多い。この定義の仕方が厄介なのは、「原因=客観的事実、結果=主観的判断」であることだ。歴代内閣が「デフレ脱却宣言」を躊躇する背景には、日本だけでしか通用しないこうした特殊な定義が関係している。

(執筆:谷口洋志)

日々是総合政策No.60

人口減少時代の中で起きている都心への人口集中

 平成27年国勢調査の人口等基本集計結果によると、2010年から2015年の5年間に人口が増加したのは8都県で、残り39道府県では人口が減少している。この5年間で日本の人口は96万2千人減少(2010年から0.8%減)しているので、人口が増加しているということは、転居による社会増が大きく影響している。人口増加が最も多いのは東京都で、35万6千人(2010年から2.7%増)の増加、そのうち23区は32万7千人の増加で、東京都の人口増加はそのほとんどが都心部分である23区内で発生している。
 東京都への人口集中の内容について、2010年から2015年の5年間のうちに住所が変わった者の割合で見てみると全国計に比べて東京都は15%ほど高く、23区だけで見ると20%ほど高い。これで分かるのが、人口減少が続く地方は、定住率が高く、人口の流動性が低いことである。生活の豊かさを求めて転居が出来る人口の流動性の高さが社会の豊かさを示す時代になっているのではないだろうか。
 社会の未来が見えない中、自己責任を求められた市民は、自らの生活を守るという観点から居住地を選択した結果、東京への人口集中は続く一方で、地方の急速な人口減少を引き起こしている。今、世界で問題となっている「分断社会」の問題は、発展により社会が広域化するなかで、その流れの速さについて行けない人々が多数発生していることを表している。流れについて行けない人々は、急激な変化を嫌う安定志向を強め、自己中心的な発想が様々な軋轢を生み、社会における相互作用の糸が切れ始め、社会の活力の低下に繋がっている。
 人口減少時代という、社会における新たな局面を迎えた日本においては、地方の急速な衰退が予測され、社会は地方と都会が分断されていって、これまでのような全体の繁栄が社会の隅々まで行き渡ることは難しくなる。将来像をしかり描いて、持続可能な社会をいかに造っていくのかという舵取りが出来る社会、ガバナンスが機能する社会を、いかに構築していくのかが政治の責任として問われているのである。

(執筆:金子邦博)

日々是総合政策No.59

県民経済計算の充実を

 県民経済計算とは全国レベルGDP統計(国民経済計算)の都道府県版です.内閣府は,それを「経済分析はもとより,県の行政・財政、経済に関する政策決定や,政策効果の測定など様々な分野で利用されている重要な統計情報の一つ」と位置づけています.実際,地域経済を分析する場合は県民経済計算を利用するしかありません(注1).
 しかし,その作成方法を知ると,県民経済計算をどれくらい信頼して良いのか不安になります.というのも,このように重要な統計と位置づけているにもかかわらず,その算定はそれぞれの都道府県が別々に行っており,国は単に都道府県が算定した数値をまとめているに過ぎません.そして,数値の作成には国が示す統一的なガイドラインが有るにしても,細かいところを見ると,実際の作成方法は都道府県でいろいろと異なっています.
 この問題は,近年,沖縄県の県民所得を巡って不必要な混乱を招きました.2012年度の県民経済計算によると,沖縄県の1人当たり県民所得は203.5万円で全都道府県最下位(47位)でした.しかし,高知県(同45位)の方式で計算し直すと,沖縄県の同値は全国28位の266.5万円へと増加したのです(注2).また良く知られていることですが,県民経済計算にある各都道府県のGDPを足し合わせても,国民経済計算にある日本のGDPと一致しません.つまり,国民経済計算との最低限の一貫性も保たれていません.しばしば「中国の省単位のGDPを合計すると中国全体のGDPを上回る」とマスコミが中国の統計体制を揶揄することがありますが,それと同様のことが日本でも起こっているのです.つまり,嘆かわしいことに「県民経済計算」は先進国の地域統計の体をなしていないのです.
 少子高齢化の高進,人口・労働人口の大幅減少のなか,今後,地域経済は大きく変動すると考えられます.そのような事態を系統的に捉えることができる唯一の統計が県民経済計算です.そうであるにもかかわらず,これらの県民経済計算の問題に関しては何の議論も対応も行われていないようです.国は都道府県が推計をバラバラに行っている現状を放置している現状を改め,早急に率先して県民経済計算の作成体制を整備し,地域統計の質の向上に尽力すべきです.

(執筆:林正義)

(注1)内閣府経済社会総合研究所国民経済計算部「県民経済計算標準方式(平成 23 年基準版)」平成31年8月30日閲覧https://www.esri.cao.go.jp/jp/sna/data/data_list/kenmin/files/contents/pdf/hyojunb23.pdf
(注2)産経新聞 「沖縄県の県民所得,低く計算.計算方式変更で最下位維持『基地問題が経済的足かせになっていることを示したいのでは』」産経ニュース.2017.1.5 07:37.平成31年8月30日閲覧https://www.sankei.com/politics/news/170105/plt1701050006-n1.html

日々是総合政策No.58

位置づけ・意味づけ・秩序づけ

 前回(No.45)述べたように、ある社会の政策決定は、時間を越えて、その社会の将来世代に色々な影響を及ぼします。例えば、1937年7月の盧溝橋事件に始まる日中戦争や1941年12月の真珠湾攻撃に始まる太平洋戦争(大東亜戦争)について、当時の日本政府が下した政策決定は、日中戦争や太平洋戦争に全く関与していない戦後生まれの日本国籍の人々にも負の遺産をもたらしています。
 これは、前回考察した地球温暖化対策が有する外部性と同じく、将来世代への政策の外部性の一事例で、「政策の通時的外部性」といえるものです。
 政策を総合的に研究するとき重要になるのは、時間軸と空間軸から構成される時空の中で、社会や文化や歴史や社会問題や政策や人間を、どのように位置づけ・意味づけ・秩序づけるかです。いまの日本で日本国籍をもつ一人の人間として、各日本人が日中戦争や太平洋戦争という歴史的事柄をどのように位置づけ・意味づけ・秩序づけるかで、いまの日本を「より良い社会」に変えようとする人間の営みも違ってきます。すべての日本人が、これらの戦争について十分な情報をもっているわけではありません。追加的な情報を獲得することの便益と費用を比較考量して費用の方が便益よりも大きければ、それ以上の情報を獲得せず情報欠如になります。この状態は、政治過程を経済学的に分析する公共選択論では「合理的無知(rational ignorance)」といわれています。
 合理的無知の状況にある人々に、日本国内外の歴史専門家や政府や学校やメディアなどが日中戦争や太平洋戦争の情報を提供しています。しかし、その情報は情報提供する主体の独自の窓から取捨選択された情報になります。そうした情報を基に、各人は日中戦争や太平洋戦争を位置づけ・意味づけ・秩序づけます。戦争だけでなく考察の対象にする事柄に関する、位置づけ・意味づけ・秩序づけとは、次の通り定義できます。
 位置づけとは、その事柄を類型化した範疇の中で特定化しその位置関係を同定することである。意味づけとは、その事柄に特定の視座から物語としての意味を与えることである。秩序づけとは、その事柄の位置づけと意味づけに基づき、その事柄について取り組むべき活動の優先順位を決めることである。

(執筆:横山彰)

(注)本随筆は、横山彰(2009)「総合政策の新たな地平」中央大学総合政策学部編『新たな「政策と文化の融合」:総合政策の挑戦』6頁(中央大学出版部)の一部について加筆修正を加えたものである。

日々是総合政策No.57

反知性主義VS.大学教育?

 批判的知の軽視、感情による物事の判断、ある現象を理解する際に多様性の一切を捨象し単純化することなどを特徴とする、「知的な生き方」の軽視あるいは敵視は、反知性主義と呼ばれている。そして、このような知識への認識・態度は、批判的に物事を考える力や、論理や根拠に基づいて判断する能力、物事の多様な側面を理解する能力を育もうとする大学教育の側には脅威となっており、大学教育側、特に人文系の学問領域においては批判的に言及されることが多い。
 確かに現代日本社会における外交関係や「ひきこもり」「格差」といった問題をめぐって飛び交う感情的で断定口調の言説を見るならば、大学教育側から反知性主義へと向けられる批判の重要性は否定できない。だが、特に「感情」を巡っては、反知性主義VS.大学教育という枠組みの安易な採用には慎重になる必要があると考える。
 この二項対立的図式の限界は、そもそも境界線が流動的で曖昧なことを把握できないことにある。より正確にいえば、「感情」が時に学問の礎になることを見落としてしまう点にある。たとえば、フェミニズムの黎明期に議論を支えたのは、社会に対する「不満」であった。同様のことがポストコロニアル理論にも言える。20世紀に入り植民地の多くは独立したが、旧植民地に対する旧宗主国の文化的・政治的な影響は残り続けた。旧宗主国と旧植民地の間で揺れる/揺さぶられる人々(たとえば旧植民地出身の「イギリス人」)の「居場所の無さ」や「不満」は、ポストコロニアル理論を生み出す原動力ともなった。これらが意味しているのは、(全てではないにせよ)大学教育には、「感情」を最終審級ではなく問いの起点に昇華し、これまで顧みられることの無かった個々人の「不満」や「不安」を、他の人々に理解されうる概念や論理に翻訳する方法が備わっている、ということである。
 もちろん、反知性主義を消し去ることはできないだろう。だが、「大学教育」には反知性主義を前に、それらをやみくもに拒否・否定したり、逆に諦念に陥ったりすることとは異なる道もある。その道は、反知性主義VS.大学教育という図式に挑戦する道でもある。

(執筆:山内勇人)

日々是総合政策No.56

正規雇用の定着には総合的な政策で

 人は産まれた年を選ぶことはできませんが、いつ誕生したかは、およそ20年後の就職活動の時期に大きな影響を受けます。
 今年の終戦の日、日本経済新聞の一面記事は、「『氷河期』100万人就職支援」というものでした。政府は、就職氷河期と呼ばれる1993年から2004年にかけて就職した人たちを対象にした就職支援を検討するということです。具体的には、支援対象者が正規雇用として半年定着した場合、対象者に職業研修を施した事業者に対して成功報酬型の助成金を支給するというものです。
 就職氷河期と呼ばれたころの日本経済は、バブル経済の崩壊、アジア通貨危機、不良債権処理の失敗による大手金融機関の破綻、アメリカのITバブル崩壊といった事象が続き、景気低迷が続きました。これらの事象は当時の新卒学生の就職活動に多大な影響を与えました。多くの学生は何十社も会社訪問を行わなければ内定を得ることはできませんでした。それでも多くの学生は内定を得ることができず、正規雇用を諦めて非正規雇用者となっていきました。現在、この世代の人たちは30歳代半ばから40歳台半ばにさしかかっています。近年、この世代の引きこもり者による事件が世間を賑わせていますが、事件を起こした者の多くは、就職がうまくいかずに引きこもったということです。
 この世代の人たちが非正規雇用者から正規雇用者になるということは、今後の労働力、社会保障の担い手になるということに加え、社会の安全といった点からも重要になるでしょう。ただ、仕事を続けるということは、個人の性格といった心理的な要因や会社の風土にも影響を受けます。いくら研修を受けて仕事上のスキルを身につけたとしても、本人が仕事を継続できるのか、正規雇用を与えてくれた会社の風土に合うのかが問題になるのです。それらの点を考慮しなければ、いくら金銭的な支援があったとしても正規雇用の定着は進まないでしょう。その意味でも、この政策は金銭的なものだけでなく、心理的な側面も取り込んだ総合的な政策が求められるのです。

(執筆:矢口和宏)

日々是総合政策No.55

『論語』と「論点整理マップ」(1)

 現代における様々な既存の社会の仕組みに無理や限界が感じられる今の時代、私たちは新たな「何か」を中心軸として制度化する必要があるのではないかと感じています。その「何か」とは、地球に住む人たち誰もが皆が納得できる「何か」である必要があります。最近、温故知新の模索の中で論語に出会う事ができたことから、その息吹を紹介しつつ、私の研究テーマについて触れていきたいと思います。

 論語に、このような言葉があります。

 「互郷は与に言い難し。童子、見えんとす。門人惑う。子曰わく、其の進むに与し、其の退くに与せざるなり。唯だ、何ぞ甚だしきや。人、己を潔くして以て進まば、其の潔きに与せん。其の往(むかし)を保せざるなり。」(野中根太郎『全文完全対照版 論語コンプリート』より)

 孔子は進歩向上したいと心から教えを乞いに来た人には身分や出身を問わず受け入れる。なぜ孔子はこのような考えをされたのでしょうか。それは、学びに来た人が教えを社会で実践することで広がり、社会全体が少しでも良くなるかもしれないと考えたからです。
 このような哲学は例えば、私たちからわずか数世代前の西郷隆盛さんにも引き継がれています。

 「第二八条 道を行うには尊卑貴賤(そんぴきせん)の差別なし。」 『南洲翁遺訓』

 その人の地位の高さ、低さ、尊さ卑しさなどといったことは、自分から見ても他人から見ても恥じない道を実践する際には、全く関係ないとする哲学です。
 私はこれらを踏まえた上で、その「何か」とは、「社会を良くしたいと願う純粋な心」にするべきだと考えています。「社会を良くしたいと願う純粋な心」には、何ものにも代えがたい、すべてを凌駕した人類共通の哲学になり得る「原動力」になるのではないかと思うのです。
 私が提案する「論点整理マップ」とは、この「社会を良くしたいと願う心」を社会に具現化する為に必要なプラットホームになるのではないかと考えます。次回に続きます。

(執筆:椎橋一樹)

日々是総合政策No.54

大阪はどう変わるのか(下)

 前回(No.49)述べたような大阪市と大阪府の二重行政を解消するために、大阪市を廃止し、東京23区のような特別区をつくる、というのが大阪都構想です。ご存知のように東京都は23の特別区と市町村からなっています。特別区と市町村は基礎自治体として同じような仕事をしますが、特別区は市町村より予算について都との調整が必要となるなどの制約を受けます。大阪都構想には、政令指定都市として強大になった大阪市を抑え、大阪府(あるいは大阪都)の管理下に置くという側面があります。二重行政の解消の仕方としては、強大な大阪市を大阪府から独立させる特別市構想もありますが、これは本格的な動きになりませんでした。大阪都構想は、北村亘『政令指定都市』(中公新書, 2013年, pp. 213-215)に指摘があるよう、大阪市を解体してつくった特別区を大阪府が垂直統合する府主導の地方自治改革なのです。特別区の区長を選挙で選び住民自治を強化するという側面も大阪都構想は持っていますが、集権体制を強化する、地方分権が通常意味するのとは逆の面を持つ改革であることは、おさえておく必要があると思います。
 大阪都構想の選択については、現在進められている形とは少し違いますが、大阪市民による住民投票が2015年5月に行われています。当時大阪都構想推進の中心であったのは大阪維新の会代表で大阪市長の橋下徹氏でした。橋下氏を含め大阪維新の会所属の政治家は選挙で連戦連勝を重ねていましたので大阪都は実現するかに思われましたが、住民投票の結果は僅差の否決でした。大阪市がなくなることに対する市民の抵抗感が大きかったのかもしれません。この結果を受け、橋下氏は政治家を引退することになりました。しかし、大阪維新の会は勢力を保ち続け、前回述べた松井・吉村両氏の当選によって、再挑戦の下地が整うことになったのです。2019年4月の選挙結果などを受け、公明党も大阪都構想に理解を示すようになり、再び住民投票を2020年に実現させる動きが加速しています。大阪がどう変わるのか、注視したいと思います。

(執筆:奥井克美)

日々是総合政策No.53

民主主義のソーシャルデザイン:政権のレガシーづくり

 令和時代最初の国政選挙となった参議院選挙の投票率は、48.80%でした。これは3年前の前回参議院選挙の投票率から5.90ポイントも下回る結果となりました。また、10代(18歳、19歳)の投票率は31.33%でした。(いずれの投票率も総務省「第25回参議院議員通常選挙発表資料」に基づき、記載)。
 48.80%という投票率は、1995年に行われた参議院選挙の投票率(44.52%)に次ぐ、戦後2番目に低い投票率となりました。戦後、参議院選挙の投票率が50%を下回ったのも、1995年の選挙と今回の選挙の2回です。同じ国政選挙である衆議院選挙では、戦後、50%を下回る投票率はなく、最も低い投票率は、2014年12月の衆議院選挙で52.66%です。(いずれの投票率も公益財団法人明るい選挙推進協会の公表データに基づき、記載)。
 今回の参議院選挙で印象的だったのは、「諸派」と位置付けられる「政党要件」を有していない政治団体の躍進です。総務省の資料によると、比例代表選挙区で、れいわ新選組は1,226,413.562票を獲得し、NHKから国民を守る党は841,224票を獲得し、いずれも政党要件を満たしました。
 さて、安倍晋三首相にとっては、国政選挙6連勝となりました。本年11月には、首相の通算在職日数の歴代1位である桂太郎氏を超え、わが国の憲政史上歴代1位の在職日数も確実に視野に入りました。首相には任期はありませんが、自由民主党総裁としては2021年9月に3期9年の任期が満了する予定です。これからの政権運営の課題は、「政権のレガシーづくり」と「レームダック化の回避」であると言えます。「終わり」が見えた政権の求心力は弱まり、政策実行力が落ちていく可能性があります。これが「レームダック化」です。「憲法改正」なのか、日朝問題や日露問題などの「外交成果」なのかはわかりませんが、政権のレガシーを築き上げるためには、レームダック化を避けるばかりか、安倍首相の求心力を高める必要があります。そこで「鍵」となるのは、やはり「選挙」かもしれません。
 亥年の選挙イヤーが、夏の参議院選挙で終わらない可能性は「ゼロ」ではありません。

(執筆:矢尾板俊平)