政府間関係にとらわれない日韓関係の構築を(上)
ここ数カ月の間に、日本と韓国の関係が悪化していると思わせることが多々起きている。長年の課題である歴史問題や領土問題に端を発し、慰安婦問題への抗議としての少女像の設置、韓国海軍によるレーダー照射問題、さらには徴用工訴訟において韓国の大法院が日本企業に対する損害賠償を命じる判決に関する問題等が続く中で、8月に韓国政府が日韓のGSOMIA(General Security of Military Information Agreement、軍事情報包括保護協定)破棄を決定した。また、同月に日本政府も輸出優遇国(ホワイト国)から韓国を除外している。両国の政府間関係が悪化する中で懸念されるのは、両国の国民が相互に嫌悪感を持ち、人々の感情にも悪影響を及ぼす可能性である。さらに、二国間にこのような問題が起きる中で、最近のメディア等においては韓国に対する批判的な言動が目に付くようになった(注1)。そのような言動に対して、朝日新聞は社説で、一部のメディアでは韓国を「感情的に遠ざけるような言葉が多用されている」と嫌韓をあおる風潮を懸念する(注2)。朝日新聞が指摘するように、政府間関係の悪化と一部のメディアの風潮は、人々に偏った韓国観をもたらすだろう。
現在の日本社会における偏った韓国観の問題は、政府間関係から作られる韓国のイメージが先走り、多様な韓国を政府間関係の側面からのみとらえることにある。この問題を考える際に参考にしたいのは、2017年に愛知大学で開かれたシンポジウム「新しい次元に向かう日中関係」における議論である。そこでは日中関係を政府間関係でとらえることに限界があると指摘し、日中関係を多様にとらえることを提起した。歴史問題や領土問題などによる日中政府間関係の悪化が危惧される中においても、日中の民間は絶えず交流し独自の関係を築いてきた。しかし、日中関係を政府間関係としてとらえることでそれ以外の関係が見えにくくなるという。同様の政治問題を抱える日韓関係においても、二国間関係を政府間関係としてとらえることに限界があるのではないだろうか。視点を固定することで韓国のその他の側面が見えにくくなっていると考える。
(執筆:深田有子)
(注1)例えば、今年4月号の『文藝春秋』では「『日韓断交』完全シミュレーション」、9月13日号の『週刊ポスト』では「韓国なんて要らない」、10月号の『WiLL』では「NO韓国―絶縁宣言!」など、特集が組まれている。
(注2)朝日新聞.2019年9月16日.「(社説)嫌韓とメディア 反感あおる風潮を憂う」https://www.asahi.com/articles/DA3S14179020.html?iref=editorial_backnumber (2019年9月16日アクセス).