相手の立場に立って考える(2)
今から50年前のこと。生徒のほとんどが大学受験をする県立の進学校にいた私は、硬式野球部に所属していたせいか、受験勉強には熱がはいらなかった。否、野球部に入っていたことを言い訳に受験勉強を怠っていたといったほうが良いかもしれない。食べ物と同じく、科目に対しても好き嫌いの激しかった私の成績は、だいたい「中の上」だった(英数社は良かったが、国理は良くなかった)。
当時の高校では、男子は制服制帽、丸刈りであった。他の高校では丸刈り廃止の動きはあったが、わが高校は県内で最も歴史があり、良くも悪くも保守的な学校であり、私は3年間を通じて丸刈りで通した。
あるとき、また聞きで、ある進路指導の先生の指導の仕方を耳にした。その指導方法はこうだった。「君は大学名で大学を選ぶのか、それとも専門分野で大学を選ぶのか」を尋ね、「大学名」と答えた生徒には、その大学で一番偏差値の低い学部学科を受験せよと指導し、「専門分野」と答えた生徒には、偏差値が高くて合格可能性が低い大学でなく、偏差値がその大学よりもかなり低くて、合格可能性がほぼ100%の大学を受験せよと指導したという。
ついでながら、受験指導の教員は、難易度の高い私立の早慶よりも、難易度の低い地方の国立大学の受験を優先し、指導する生徒のうち国立大学に何人入ったかを自慢していた。早慶やMARCHはすべての国立大学よりも劣る存在として蔑視されていた。何年か前に、別の県立高校を訪問した際にも、受験指導の教員が同じような指導を自慢していたことに驚かされた(その教員は地方の国立大学出身だった)。
こうした指導は、相手の立場に立った有益な指導に見えるが、実際には自分の価値を相手に押し付けるものでしかなかった。県で最も古い県立高校で長年受験指導を行ってきた先生の強圧的な言葉で、その権威を振りかざしての発言だった。
私はこの指導方法を聞いて非常に腹が立った。受験指導の先生に腹が立ったのではなく、先生の話を黙って聞いて帰ってきた生徒に対して腹が立った。「アドバイスはうれしいが、自分の進路は自分で決める」となぜ答えなかったのか、と。今も私の考えは変わらない。
(執筆:谷口洋志)